つて、たか子は雨に濡れながら、徹男のビイラへ行つた。自炊をしてゐるので、石油コンロがサロンの眞中に置いてあり、チーズや煙草の鑵が板の床に轉がつてゐる。
たか子は、散らかつてゐる部屋へ徹男の後から負けない氣持ちで這入つて行つた。
「困る‥‥」
徹男が、立ちどまつて「困る」と云つた。たか子はスクウリンの上が消えてしまつたやうな淋しさで、窓邊に立つてゐた。十年近くも年の違ふこの青年に噴きあげるやうな戀情を寄せてゐる自分を、痛々しく考へてみるのだつた。
何かの惡い隙間なのだとおもつてみても、たか子はいまさらひつこみのつかない氣持ちだつた。徹男は、徹男で、良人を持ち何人も子供を産んでも、少女の氣持ちと少しもかはらないたか子夫人に、何となくひかされるものを感じた。眼が黒くつぶらで、皮膚が白くて、太い眉が熱情的で、脣は南國の花のやうに厚い肉をしてゐるたか子。
「どうして、急に、そんなによそよそしくなさるの?」
たか子が、そつと徹男のそばへ寄つて來た。埃くさい、暗い部屋の中に、二人は暫く對立して立つてゐたが、たか子は、少女のやうに徹男の胸に飛びついて行くと、まるで蝶々が狂ふやうに、髮の毛を徹男
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