と云つた感じです。シベリヤを通過する旅客は、ドイツの商人と私との二人きりです。鞄をあけたソヴィエートの税関に調べて貰つてゐる間に、満人の憲兵が何度も私の姓名と職業を尋ねました。パスポートを調べられるのは勿論ですし、所持金まで聞かれました。勿論これはロシヤ側の方です。で、私は人に教はつた通り、米ドルで三百ドルだと書いてみせました。写真機もタイプライターも持つてゐませんでしたが、若し持つてをれば、通過する間封ぜられます。税関では、一ツ面白い事がありました。下村千秋氏が玉木屋のつくだ煮を下すつたのを持つてゐたのですが、どうしても開けて見せろと云ふので、私は開いて貝を一ツ摘んで食べて見せました。此様な、まるで土みたいな色をした食料品なぞ、不思議なのでせう。一切の仕事が片づくと、さて、一週間を送るべき、モスコー行きの硬床ワゴンに落ち着きました。

 4信
 共産軍はもうチチハルへ出発したとか、ロシヤの銃器がどしどし中国の兵隊に渡つてゐるとか、日本隊は今軍隊が手薄だとか、兵匪の中に強大な共産軍がつくられてゐるとか、風説流々です。戦ひを前にしての静けさとでも云ひますのか、マンジウリの駅は、此風説に反
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