、「あの食堂はブルジョワレストランぢやないか」さう聞いた事があります。で、私の部屋にいつもパンを貰ひに来る、まるで乞食みたいにずるいピオニールの事を話しました。
「なぜ、食堂で飯をあたへないのでせう」
ピエルミ氏は、子供つぽく笑つて、わからないと云ひました。実さい、一二度の事ならば、何でもないのですが、私が食べる頃を見計らつては、「ヤポンスキーマドマゼール、ブーリキ」なんぞと云つて、腹をおさへて悲しげにしてみせます。私は、もう苦味《にが》い葡萄酒でも呑むより仕方がない。岩のやうになつたパンと、林檎を持つて行かせて怒つた顔をしてみせました。私の食料品も、おほかたは人にやつてばかりで、レモン一個と砂糖と、茶と、するめが残つたきりです。十九日は、また昼食を註文して今度はミンスク氏と並びました。スープ(大根のやうなのに人参少し)それに、うどん粉の酸つぱいのや(すゐとんに酢をかけたやうなもの)蕎麦の実に鶏の骨少し、そんなものでした。昼食に出るまでは楽しく空想して、それで食べてしまふと、落胆してしまふのです。十九日の夜は、借りた枕や、シーツと毛布代を、六ルーブル払ひました。毛布と云つても、一枚の
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