よたよた歩いてきて、私の頬へ唇をさしよせて来ます。――時々、隣室のゲルマンスキーがレコードをかけます。寒い一眸の野を走る汽車の上で、音楽を聞いたせゐか、涙があふれて仕様がありませんでした。ロシヤ人と云ふ人種は、いつたいに音楽が好きなのでせう。トロイカと云ふ映画を御覧になりましたか。タンゴなぞは禁止されてゐると云つても走つてゐる汽車の中です。やるせなげな唄を耳にします。窓外は、あの映画に出て来る馬橇が走つてゐます。此ゲルマンスキーの、レコードが鳴り出しますと、まるで蜂の巣のやうに扉があいて、ゲルマンスキーの部屋の前に集ります。皆の顔が生々して来ます。実際音楽が好きなのでせう。
ところで前の食堂の話なのですけれど、半年ばかり前までは、強制的に食事費を取られてゐたと云ふ話でしたが、私の時は、食べても食べなくても良かつたので、大変楽でした。
隣室のピエルミ氏は、毎日詩集のやうなものを読んでゐます。ゴルキーやチエホフや、トルストイや、ゴーゴリなんぞ読んだ事があると云つたら、ピエルミ氏は、お前にロシヤ語が話せればもつと面白い事が出来るのにとくやしがつてくれました。ところで、或時ピエルミ氏に
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