は女の神樣だぞ。」
「そんなら、頭[#「頭」に傍点]の後から御光が射すんだよ。」
木内先生が通ると、みんな先生の後へ走って行きましたが、セルロイドのSピンに陽があたっているきりでした。――むつは、學校へ行っても太郎を連れてゆかなければならないので、それがいやでいやでなりませんでした。太郎は皆が臭い子供だと云います。本當に小便臭いので暑くなって來るとおぶうのがいやでいやで仕方がありませんでした。
むつは、雲について歩きました。今日は學校を休んでしまったので、畑徑を歩いていても、村中に子供がいないのでせいせいした氣持ちでした。むつは取りのこされたように淋しかったのですけれど、學校へ行くのは嫌いでした。むつは字を讀むことがむずかしかったし、何度教わっても、別のことばかり考えているので、すぐ忘れてしまいました。
むつは、學校を休んで家にいる事も好きませんでした。家の中はごみっぽくって、何年も天井をはらわないので、くもの巣に煤がたまって、魔物の家にいるようなのです。今日も太郎を寢かしつけると、むつは雲を追って、馬鈴薯畑の方へ出ました。森も畑も海のように青くて、それたちを見ていると、馬の背中のようにもくもく動いて見えるのです。もぐらの大合戰だぞと、むつは、風に動く畑や森を見てそんなことを考えました。今夜は蕎麥の粉を貰って來てやると、母さんが云ったけれど、蕎麥の粉をかいて、黒砂糖をまぶして食べたらうまいなと、むつは徑の上にうつる自分の白い大入道と一緒に、土ぼこりをけたてて歸って來ました。
太郎はまだ眠っていました。鼻汁が固くなって、鼻の穴で青い泡を吹いています。むつは太郎へ煮え湯をかけて殺してしまおうかと思いました。遠い昔、母親がかにを買って來て煮え湯へほうりこんだのだが、すぐ水色の蟹がいんにく[#「いんにく」に傍点]のように朱くなってしまいました。太郎も煮え湯へほうりこんだら、かにのように美しい子になるだろう。そうして、臭くて青い色をした鼻汁なんか、とけてなくなってしまうだろう。むつは土間から乾いた桑の根っこをかかえて來ました。桑の根っこをいろり[#「いろり」に傍点]にくべて、マッチをすって投げ込むと、桑の根はからからに乾いているのですぐ強い炎をあげはじめました。横の川へ行って、鐵鍋にいっぱい水を汲んで自在鍵にそれを吊しました。湯が沸く間に、むつは部屋の隅にある古ぼけた箪笥をがたぴし開けてみました。母親の大事なものは何でもこの中へ入っているのをむつは知っていました。箪笥には長持ちのような引出しが三ツついていました。一番上の引出しには、亡くなった父親の寫眞だの、父親が一二度しかはかなかった男下駄が新聞に包んで入っていました。むつの下駄も入っていました。
二番目の引出しには、太郎のゆかたやぼろ切れが入っていました。三番目の引出しには、空いた菓子箱や、こうもり傘などが入れてありました。むつは腹がへっていたので、箪笥の中へ何も食いものがないとがっかりしてしまいました。「ええいまいましい!」
むつは、大人たちのまねをしました。いろりの火は燃えるだけ燃えると、もう白い灰になってしまって森閑としています。むつは鍋へ手をさしこんでみました。湯は風呂みたいな熱さでした。むつは腹がたってしまって、また土間へ降りて行き、こんどは桑の根っこの大きい奴を熊の首のようだぞとひとりごとを言いながら引きずって來ていろりの中へいれました。白い灰が飛び立ちました。まだ火がのこっていたのか、新らしくほうり入れた乾いた桑の根はすぐくすぶり始めました。むつは腹這いになって、ふうっと火を吹きましたが、咽喉のいがらっぽい白い煙がむつの吹く息で向うへ押されてゆきます。風の神樣が、ここにもいるのだろうかと、むつは脣の處へ手をやり風の神樣をつかまえようとしますと、むつの吐く風は涼しい氣配をたてて五本の指の間からそっと逃げてゆきます。火がやっと、桑の根っこに燃えつきました。太郎を起さないようにして早く殺してしまおう……學校へ行くときにも身輕るになるし、第一、むつの弟は臭いぞと云われないで濟むと思いました。湯がぶつぶつ泡を浮べて白い灰がいっぱい湯の上に流れています。
むつは腹がへって來てがまんが出來なくなりました。土釜のふたを取ってみたけれども、水が入れてあるきりで、杓子に米粒一つついてはいないのです。むつは土間へ降りて、鷄小舍をのぞきました。三羽の鷄は、むつが網の中へ入って來たので、急に身づくろいをして、肩をそびやかせて怒るのでした。寢わらの底を探ってみると、ぬくい奴がむつの手に二つさわりました。むつはそれをそっと抱いて網の外に出ると、いろりの處へ居坐り寄るようにして、煮えたつ鍋の中へぬくい卵を二ついれました。これが知れたらえらく叱られるとは思いましたが、默っていれば判るもの
前へ
次へ
全4ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング