軍の兵隊さんが二人見に来ていました。
一度ぜひこちらにもお出で下さい。
このごろ、私は麦刈りに行きます。うちでも少し麦をつくっていますから、粉になったら少しですが持って行きます。シャツをもらったぼっちゃんお元気ですか。よろしくおっしゃって下さい。
僕は八王子の子どもの手紙を読んで行きながら泣きたいようなかわいそうな気持になりました。金井君は「そのうち、学校が休みになったら行こうよ」といいました。
朝の体操の時間、及川先生と僕たちはフットボールをしました。それから討論会です。
「おとうさんにお仕事のあるものは手をあげて‥‥」
及川先生がいいました。僕はいきおひよく手をあげました。四十人の組のうち、手をあげないものが七人もいます。そのなかに、咲田という女の子がまじっていました。
「おかあさんがお仕事を持って働いているものは手をあげて‥‥」
組のうち半分が手をあげました。
「学校へおべんとうを持って来るのはちょっと困るなというお家の声をきいた人は手をあげて‥‥」
組のほとんどが手をあげたのでみんなわっと笑いました。及川先生も笑っています。
「どんなことをおっしゃっているの。金井君いってごらん」
「はい、僕の家は朝おかゆです。だから、僕とねえさんのためにわざわざべんとうをつくることは大変だっておかあさんがこぼします」
「ねえさんは学校ですか」
「いいえ、新聞社へ勤めています」
その次に咲田という女の子、「私の家は、いまおとうさんが失業していますので、朝は麦を粉にしてダンゴを食べます。私はおべんとうは持って来ないことにしています。夜はごはんです。たくさんいろいろなものをにこみます。でもなれてしまいましたから何でもありません」僕はじっと空をみていました。どうしてみんなこんなに困るのだろうと思うのです。戦争がすんだのだから、どんどんものが出来てよさそうなのに、どうしてこんななのだろうと思います。僕たちの教室だって焼けてしまっているし、いまは体操場が僕たちの教室になっています。窓の向こうは焼野原で、草や畑が青青しているけれど、まだまだ焼跡つづきでお家はなかなか建たないのです。
僕の家もおべんとうをつくるのは困っています。だから、朝ごはんをたいても、いつもたきたてのごはんがおとうさんや僕のべんとうばこへおさまるのです。僕たちは朝むしパンを食べます。弟が昔の古雑誌にのっていたごちそうの写真をみて、ぱくぱく食べるまねをすると、おかあさんはかわいそうね、といいます。おとうさんは、「案外、本人は知らないで、そんなことをしているのだからかわいそうぢゃないよ」といいました。
15[#「15」は縦中横]
一日のうちにごはんらしいものを食べているのはいいほうで、何日もお米なんてみたことがない、という子どももたくさんいます。
「でも、私は、勉強をしている時だの、遊んでいる時は食べもののことなんか忘れます」
と咲田君がいいました。すると、他の女の子たちも、
「ええ私もそうよ」と小さい声でいっています。
「君たちは大きくなったら何になりたいかね」
及川先生がたずねました。一人一人指名されたので、一人一人立って答えます。僕は、空のことが好きですから、天文学者になりたいと答えました。金井君は農林技師になりたいのだそうです。みんな、てんでに面白い答をしました。なかにはやみ屋になりたいというのがいて、みんなどっと笑いました。大谷君といって、大谷君のおとうさんは、いま進駐軍の人夫をしているのだそうです。みんなが笑うと、及川先生は笑ってはいけないとおしかりになりました。
大谷君は勉強は少しもできないけれど、とても正直なのでみんなが好きでした。
「どうして、大谷君はやみ屋になりたいの」
先生がおたずねになると、大谷君はあかい顔をして、
「お金がたくさんもうかるそうですから」
と申しました。
女の子たちには早く大きくなってお嫁さんに行きますという子がいたり、先生になりたいというのや、魚屋さんになりたいというのや、美容師になりたいというのがいて面白いです。
僕は夜、ごはんの時に、おとうさんに、今日のはなしをしました。おとうさんは大谷君を面白い子だなといいました。
おかあさんは何だか気分が悪いといって早くおやすみになったので、僕と静子があとかたづけ[#「あとかたづけ」は底本では「あとかたづづけ」]をしました。
あくる朝、おかあさんは熱があって起きられませんでしたので、おとうさんが台所をしました。おとうさんがすいとんをつくってくれました。僕のつくったふだん草をすいとんに入れました。
いつも丈夫なおかあさんがおやすみなので、僕たちはちっともたのしくありません。近くには氷屋さんがないので、金だらいに水を汲んで来て、おかあさんの枕もとに置きました。
おとうさんは会社をおやすみになり、僕たちは学校へ行きました。学校へ行っても、お家のことが心配です。でも、どこを見ても青青としていて気持がいいし、このごろはお天気つづきで学校の野菜畑にも出られるし、みんな戸外にいるのがたのしそうです。今年は早く夏休みがあるのだそうです。金井君は学校が休みになっても、学校の畑をみまわりに来るのだといっていました。
僕たちの級の畑には、馬鈴薯とさつまいもと、ふだん草と、とうもろこしが植えてあります。金井君はとても畑つくりがうまくて、こつこつ畑をやっています。
「ねえ、馬鈴薯の花って白だのむらさきだのきれいなはずだに、学校の馬鈴薯は少しも花が咲かないねえ」
僕がたずねますと、金井君は、
「馬鈴薯はあまり花をつけちゃあ、いもがつかないんだよ。花が咲きかける時にこやしをやって、根に力をつけてやるようにすると、咲きかけた花に養分が行かなくなって、自然に花がしぼんでゆくのさ、そうすると馬鈴薯がぐんぐん大きくなっているしょうこだよ」
と申しました。
「ふうん、面白いんだねえ‥‥植物って、なかなかしんけいしつなんだね」
「そりやそうさ、生物ってものは、ちゃんとよくみてやらなくちゃ何にもならないよ。肥料一つでとてもちがうんだぜ」
道理で、女生徒の畑は水ばかりじゃぶじゃぶかけているのでいやにひょろひょろしているけれど、僕たちの畑はとてもりっぱです。みんな金井君の指導です。
「第一、ものを植えるっていってもね、陽あたりのいいってことが一番大切なんだよ。木の下だの、一日ぢゅう陽のあたらないところは駄目、みんな、ところかまわず植えればいいってものぢやないものね。その次が肥料と手入れさ。肥料をやらなくちゃいいものは出来ないね」
このあいだも、なすを植える時、金井君は畑でどんどん火をたいて、その灰をよく土にまぶして、なすを植えつけました。水は一回もやらないのに、なすはぐんぐんそだっています。
なすの苗は、金井君が千葉のお百姓家でわけてもらって来たもので、とてもいい苗でした。
やみ屋になりたいという大谷君は、金井君のあとばかりくっついて、一生懸命に働きます。でも、時時、どっかで、いろんな種をあつめてきて、畑のすみに植えるので、金井君は時時大谷君をしかります。このあいだも、朝顔の種を持って来て、トマトの苗のところに植えました。そして、ダルマノメだの、カノコシボリだのという札をぶらさげるので、みんな笑います。金井君はすぐその種をほじくって捨てるので、大谷君がちょっと気の毒になります。
16[#「16」は縦中横]
今日は、おかあさんのぐあいがわるいので、僕は畑をしないで、早くお家へかえりました。朝、お医者さまがみえたのだそうで、おかあさんは当分しずかに寝ていなければなりません。おかあさんはあかい顔をして、手拭を頭にあてていました。
「おかあさま、大丈夫なの」
おとうさまにききますと、
「ああ、すぐなおるよ。つかれも出たんだし、栄養失調もあるのだから、当分寝ててもらうのさ」
とおっしゃいました。
静子もとても心配しています。
おとうさんは、近所のやみ市へ卵を買いに行くのだというので、静子や弟を留守番にして、僕とおとうさんは出かけました。
「おい健坊!」
おとうさんがまじめな顔でいいました。
「おかあさんは、胸も少しわるいから、こんどは少し病気が長びくかもしれないけれど、がっかりしないでやるんだよ――いよいよ、お家もこれから大変なのだから、へこたれちゃいけないね。おとうさんは、会社をあまり休むわけには行かないから困るけれど、健坊が力になってみてくれなくちゃいけないよ、いいかい」
とおっしゃいました。
僕はどんなことでもしようと思います。
兵隊に行って戦死した人のことを思えばどんなつらいことだって出来ると思いました。
「日本は戦争に敗けたんだから、このくらいのことはあたりまえなのだよ、お家をとられて、みんなちりぢりになっても文句はいえないのだから、このくらいのことは、まだまだしあわせだと思って、今年一年やって行けば、そのさきは、いまよりらくになるだろう。くるしみのあとには、きっとらくになれるもんだ」
僕もおとうさんのお話のとおりだと思っています。どんなに苦しいことがあっても、がまんしてやって行こうと思います。
今日はお天気がいいので、たくさん露店が出ていました。卵はたいてい四円五十銭から四円八十銭という札が出ています。おとうさんは、四円八十銭の卵を二つ買いました。それから、うなぎのきもを一皿買いました。キャベツも一つ買いました。
僕たちにはいわしだの、干にしんを買いました。
「おとうさん、あんまりお金つかって大丈夫」って、ききますと、おとうさんは、
「こら、子どものくせに生意気いうでない」って笑っています。
僕のおとうさんは、いつもにこにこしています。すこしもしかりません。
「今日はおとうさん、お金持ですね」
と僕がききますと、
「そりあそうさ」
と笑っています。
夜、静子にきいたら、おとうさんは、どこかのおじさんをつれて来て、本だのレコードだのお売りになったのだそうです。
おとうさんは、とても音楽が好きでした。
僕はいつも、おとうさんがかけて下さるモルドウというのが好きでした。それから四台のピアノも好きです。モルドウというのは、河の流れを曲にしたのだそうで、山の奥から街の中へ流れて行くまでの河のすがたが目にみえるようです。
モルドウを売られては淋しいと思いました。それから、本もおとうさんは大切にしておられたので、何だか気の毒に思いました。
「おとうさん、本だなのレコード売ったんですか」
「ああ、あんなもの、焼けたと思えば何でもない、よその人が、たのしんでくれると思えばいいんだよ」
「モルドウはどうしたの」
「ああ、あれはまだあるよ」
「ああよかった」
「でも、いまに蓄音機も売ってしまうかもしれないよ」
「僕、いやだなあ」
「いやだっていっても、僕たちは戦争に敗けたんだよ。当分はぜいたくなことはいっていられないよ。みんな、いっしょにくるしむ時代なんだから。――おとうさんは、お前たちだけは何も知らせないって気持はないから、何でも話しておくけど、戦争に敗けたということをなまぬるく考えていちゃいけないのだよ。戦争に敗けることが、このくらいのなまぬるさだったらまたいつか戦争みたいなことがおこりかねないね。永久に戦争ってなくしたいことに努力するのが、いまの人たちの責任なんだよ」
おとうさんは暑いので、アンダシャツ一枚で台所をしています。蛇の目の傘の破れたのでくしをつくって、おとうさんはうなぎのきもを焼いています。
とてもいい匂いがして、弟は早く食べたいとさわぎます。
静子はキャベツをこまかく切っています。
「ねえ、健ちゃん、もうこれで四円ぐらいキャベツ切っちゃったわ」
といっています。
食物がこんなにたくさんあると、僕は何だか変です。夜はパンをつくるのだそうです。僕は粉ひきで麦をひきます。手が痛くなったけれど、がまんしてハンドルをまわします。
キャベツのはいったパンを食べるなんてどんなにおいしいだろうとたのしみです。
八
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