て生きています。このごろは、どこから来たのか、小さいのや大きい犬を三四匹もひきつれて、ふざけちらして走っています。
「犬って東京だけにいるのかねえ?」
 金井君がいいました。
「どうして」
「だって、長野の山の中には、犬なんてめったにいなかったよ、猫の方がたくさんいたなあ」
 金井君は、去年の三月、長野へ疎開して行きました。僕にもいっしょに行こうとさそってくれたのですけれど、僕はおとうさんが出征していなかったし、おかあさんが、どんなに苦しくてもいっしょにいて下さいとおっしゃったから山へ行かなかったのです。
 金井君は山のあらもの屋でとうがらしを買ってなめたお話をよくします。
 ごはんがたりなくておなかがすくので、みんなあらもの屋へいって、たべられるようなものを何かさがすのだそうです。はじめはオレンジのもとというあかい粉を買ってなめていたけれど、みんなが、それを買うので、それもなくなり、こんどはわさびの粉を買ったり、とうがらしを買ったりしてなめた話をしました。
 金井君はとても正直ですから、よく田舎の話をするたび、田舎の生活をあまりよくいいません。よっぽど苦しかったとみえて、田舎では東京へかえりたくて、友だちが、みんな、いろんなぼうけんをした話をしてくれました。
「僕ねえ、田舎って、絵のようにきれいなところだと思っていたのさ、そりゃあ、景色はきれいだったけれど、つまらないよ。あんなところ。山本先生は、これが戦争なんだからがまんしろがまんしろ、逃げて一人でかえるなぞはひきょうだぞっておっしゃったけれど、毎日、誰かが駅へ逃げて行くのさ。村の人って僕きらいだ。いばっているんだもの。――いやだったなああの時は……五キロもあるところへ山本先生とみんなでね、配給所へ米をもらいに行って、何度もからっぽの車をひいてかえる時、山本先生泣きながら歩いていらっしたよ。だから、僕たち、何もかもわすれて、歌でもうたおうって、山道を歌をうたって歩いたのさ。そしたら、兵隊に行っているおとうさんの事をおもい出して僕も涙が出て仕方がなかった。あの時のこと、忘れろっていったって忘れないよ。ああ。だから、富田だっていっているよ。いくら空襲があっても、君がいちばんよかったって‥‥」

     10[#「10」は縦中横]

「こんなこと、うまくいえないけど、僕、田舎はこりごりだ。畑をしたくったって、土地がないし、お百姓の道具なんて何もないだろう。だから、みんな手で掘ったよ。石ころの川床になった荒地を手でたがやしたんだぜ。小さいかぼちゃがすこし出来たかな。山本先生だの、大木先生ね、時時リンゴを買い出しに行って僕たちにたべさしてくれたよ。リンゴってうまいもんだねえ。だけど、僕、おうちへかえれればリンゴなんて一生食わなくてもいいと思ったねえ。おかあさんのことを考えると、むしゃくしゃして来るのさ、あいたくて仕方がなかったなあ。――時時山の上へ行って、みんなで、山彦ごっこをするのさ。おとうさあんと呼ぶんだよ。するとねえ、向こうの山の方から、おとうさんっていうのさ、はじめはきみがわるかったけれど、面白くなっちゃったよ。君、山彦って知ってるかい? とても変なんだよ。東京、東京って呼ぶとね、東京、東京って返事をするんだぜ。――田舎も、山のなかや、田圃や畑はいいね」
「山のなかには、いろんな鳥が鳴いてるんだろう?」
「ああ山鳩っていう、ぼつぼオってなくのがいるよ。ねむくなるようなひるひなか、山のなかでこのぼつぼオをきくと、僕、東京へかえりたくて涙が出て困っちやった」
「山のなかには買い出しは行かないだろう」
「そんなことないよ、たくさんきてたよ。米だって何だって買って行ったよ。だから、僕たちも、千田君たちと、先生にだまってキウリを買いに行ったんだよ。なまのキウリ、うまかったぜ」
「ほう、子供にも売ってくれたの?」
「そうさ、金さえ出せば誰にだって売るよ」
「そうなのかえ、驚いたねえ」
 僕は田舎で苦しんだ金井君がかわいそうでした。金井君はとても正直な人です。こんどの敗戦のことも、軍人っていけなかったんだね、とがっかりしています。僕だって、おとうさんはいい人なのに、どうして大人の人ってうそつきなのか変です。
 うそつきでないといえば、山本先生もいい方です。先生はこのごろ、つぎはぎだらけの洋服で来られますけれど、先生はどんなにびんぼうしていても、いつもにこにこして僕たちの友だちのようです。
 去年の暮、僕の畑で出来た小さい大根を山本先生に持って行ったら、山本先生は、
「そんな心配するなよ」
 とおっしゃいました。
 僕がつくったのを持って来たんだというと先生は、
「そうか、そりゃあうれしいなあ」って顔をあかくされました。
 先生は、このごろ頭に小さいはげが出来ました。みんな栄養失調だとうわさしています。だって、そのころ、誰かが黒板に、山本先生の栄養失調って落書していたからです。先生は落書をごらんになって、頭をかきながら、
「ひどいなあ」
 と笑っていらっしゃいました。
 ところが、おかしいことに、僕のおとうさんにも左の耳の上に小さいはげが出来ました。床屋でうつったのかなって心配していらっしゃいます。山本先生のも、僕のおとうさんのも、その、はげは、大きくも小さくもならないのでふしぎです。人にもうつりません。
 おとうさんは先月からお仕事がみつかって会社へつとめておられます。おとうさんは、まじめに働きさえすれば、いまにきっといいことがあるとおっしゃいます。

     11[#「11」は縦中横]

 金井君は疎開さきから、みんなで東京へかえった時、東京があんまり焼けているので、涙がこぼれて眼がまんまるくはれあがってしまったそうです。上野駅でお迎えのおかあさまとねえさんに抱きついて、しばらくおいおい泣いていたそうです。なつかしいおかあさまのきものの匂いがとてもうれしかったといいました。
「みんなやせてかえったんで山本先生が申しわけないとおっしゃったよ。でも、山本先生も、とてもやせていたんだからね」
 古竹でさくをつくりながら、金井君はいろいろの話をします。
「でも、畑をつくるべしさ。僕は大人になったら農林技師になるつもりさ。君どう思う」
「そりゃあいいねえ」
 金井君のおとうさんはまだジャワからかえりません。だから、僕のおとうさんが早くかえったのをいいなあとうらやましがります。
「ねえ、君、僕のおとうさんて、山本先生と同じように、ぬっとしててすこしもしからないよ。一度だってしかったことがないよ。――大きな大人のくせに、僕に何だってそうだんするんだぜ」
「僕のおとうさんだってしからないよ。そうだなあ、うそをいうとしかるね」
「へえ、君、うそをつくのかい」
「ああ二三度あるよ」
「いやなやつだなあ」
「仕方がなくてうそをついたのさ」
「どんな事でだい」
「おなかがすいている時に、すかないなんていうと、おとうさん、ちょっとしかるよ。ごまかすのはきらいだぞオっていうんだ」
「そりあそうさ」
「だって、みんながかわいそうだもの、僕のところは、君のとこみたいに金持ぢゃないからね」
「金持ぢゃないよ」
「だって、君のところへ行くと、いつだっておやつがあるだろう。金持だよ」
 金井君は気をわるくしたのかだまってしまいました。さくが一本ずつ立って行きます。こんならチョコだってはいれないでしょう。さくのぐるりに、僕は花を植えるつもりです。二時すこしすぎたころ、おかあさんが僕たちを呼びました。今日は僕のところもおやつがありました。むしパンをおかあさんが一つずつ下さいました。
「君のうちだって金持だよ」
 金井君にやられてしまいました。むしパンはとてもふんわりしていておいしいので、僕はうまくてしかたがありませんでした。えんがわに腰をかけていると、昨日の雨でしめっていた庭にかげろうがまっています。ちんちょうげの花の匂いがとてもにおってきます。庭のすみにあるこぶしの新芽がきれいです。
 今年は桜も早くちりかけていると、新聞に出ていました。
「春っていいね」金井君がいいました。
「あたたかでいいね、でも、僕は夏の方がもっと好きだよ」
 僕は夏が好きです。おとうさんも夏が好きです。夏になると僕とおとうさんの天下で、釣に行くのがたのしみになります。
「山本先生ね、すこし毛が生えて来たよ」
 金井君がにこにこしていいました。そういえば、おとうさんも、はげがめだたなくなりました。春になったから、頭の毛もはえるのかもしれません。それに、いわしをたべるせいかもしれません。おやつがすんで、僕たちはまた畑をしました。チョコはぬくぬくと畑のそばで日向ぼっこをしています。
「お前だな、畑あらしは……」
 金井君がにらみますと、チョコは、ねたなりでしっぽをゆらゆらふっています。僕はおかしくなって、チョコの前あしを一寸ふむまねをしました。チョコはざらざらした舌を出して、僕の靴さきをなめます。
「君、あのねえ、凍った山って、月夜にみるときれいだぜ。みたことはないだろう。僕たち山で、月夜に、B29[#「29」は縦中横]が、村の上をとおったんで、そっとそとに出てみたんだよ。白い山山に、B29[#「29」は縦中横]のサクン サクン サクンっていう、エンジンの音がはんしゃしてとてもきれいだったよ。星がいっぱい光ってて夜の凍っている山ってすごいよ」金井君が思い出したようにいいました。
 凍った山ってどんなだろうと思います。僕はみみずをほじくり出したので、しばらくみつめていました。のの字になったり、Sの字になったりしてさかんに運動します。泥まみれのみみずは汗ばんでいるようです。
 金井君は口笛を吹きはじめました。何ともいえないぬるい風が吹いて、今日はねむくなるようなお天気です。

     12[#「12」は縦中横]

 おとうさんはこのごろおつとめです。
 おとうさんはいつも口笛を吹いておかえりです。このあいだ、おとうさんは古道具屋でのこぎりを買ってきました。四十円もするのだそうです。
 この、のこぎりで鶏小舎をつくって下さるのだそうです。日曜日はたのしみです。僕の畑のそばにおとうさんの鶏小舎がすこしずつ出来ています。いつになったら鶏が来るのでしょう。
 いつかの、おとうさんの童話のような、ふとった鶏が、この小舎に来るのかとおもうと僕はたのしみです。金井君も時時みに来ます。おかあさんは鶏を飼ってもたべさせるものがないので、生物は困るといっています。僕は生物は何でも好きです。
 鶏は、吉田さんのおじさんが、宇都宮から持ってきて下さるのだそうです。吉田さんのおじさんは、お仕事のことで、たびたび東京へいらっしゃいます。
 早く鶏のおうちが出来て、宇都宮の鶏が来るといいと思います。今日は日曜日なので、僕は金井君と二人で雑司ヶ谷の坂井君のおうちへ約束しておいた竹をもらいに行きました。金網のかわりに、竹の細いので格子をつくってやるのです。目白へ出て、学習院の通りを歩いていると、僕たちぐらいの男の子が、
「八王子へ行くのはこの道を行ったらいいの」とききます。
 破れたシャツと、あしの出たつぎはぎだらけのズボンで、小さい風呂敷包を持っています。髪の毛が随分のびていて大人のようにつかれた顔をしています。
 僕たちは八王子を知りません。
「君はどこから来たの」
 金井君がたずねました。
「遠いところから来たの‥‥」
「遠いところってどこなの」
「深谷というところから歩いて来たの」
「へえ、深谷ってどこだい、健ちゃん知ってる‥‥」
 深谷というのは、どこだか知らないけれども、おかあさんは、ねぎの話が出ると、すぐ、深谷のねぎはおいしかったというから、ねぎの出来るところから来たのかも知れないと思いました。
「ねぎのたくさん出来るところだろう‥‥」
 僕がたずねると、その子は、「うん」といいました。
 たぶん、おなかがすいているのでしょう、大変元気がありません。白目のところが青い、眼の大きい子です。
「八王子って遠いんだろう‥‥何しに行くの‥‥」
「おばあさんがいるんだ
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