ぎ、模様のようなやまにしきぎ、そんな名前を一つ一つていねいにおしえて下さいました。僕は、吉田さんのおばあさんはほんとうに好きです。鶴の模様のついた、赤いちりめんのちゃんちゃんこをよく着ていました。
 宇都宮で、くうしゅうのさいちゅうに亡くなられたのだそうです。僕は吉田さんのおじさんに、
「宇都宮って海がありますか」
 とききました。おじさんは、あはあは笑って、山から魚を持って来たので、健ちゃんがふしぎなのですね、とおっしゃいました。吉田さんのおじさんは、黒鯛を昨日、船橋でおかいになって、それを僕の家に持って来て下さったのだそうです。
 吉田さんのおばあさんは、とてもお魚の好きな人でした。僕は、お魚よりも野菜が好きです。きんぴらなんかとても好きです。でも野菜がたかいので、おかあさんは、このごろはめったにきんぴらをして下さいません。
 吉田さんのおばあさんは、八十二で亡くなられたそうです。ずいぶん長生きだと思いました。人間は五十年しか生きられないというけれど、吉田さんのおばあさんは二人前も長生きをされて、僕はびっくりしました。
「長生きだなア」
 といったら、おかあさんが、
「マア、しつれいねえ、長生きをなさることはとてもおめでたいことなのですよ」
 とおっしゃいました。長生きをすることがどうしておめでたいのかわからないけれども、でも、僕だって、おとうさんや、おかあさんが長生きをして下さるといいと思う。
 吉田さんのおじさんは、二三日僕の家におとまりになることになりました。東京で、あたらしく何かおしごとをおはじめになるということでした。
 吉田さんのおじさんは、背がひくくって、とてもよこにふとった人だけれど、子供ずきなおじさんで、僕は大好きです。おじさんはいつもおこった顔をしたことがない。にこにこしていて、とまっていても、ひまがあると何だか用事をみつけてしておられる。薪も割ってもらいました。お餅をつくのにもてつだってついてもらいました。
 おじさんは東京に早く家をみつけたいといっておられました。長く住んでいたところは、一番なつかしいといっておられました。

     8

 おとうさんは、吉田さんのおじさんのおすすめで、お二人で何かお仕事をはじめるといっておられました。
「としがはんぱだから、なかなかいい仕事がみつからなくて――」
 とおとうさんがおじさんに話しておられます。
 黒鯛は、おかあさんがおやきになりました。僕たちみんなで食べました。おいしくて仕方がない。さっぱりしていて。久しぶりのお魚なので宏ちゃんも、おさかなととね、と大よろこびでした。
 おとうさんが、僕と静子に、「黒鯛」という題で作文を書いてごらんとおっしゃいました。静子はあかい顔して、困った、困った、と、むくれていました。
「いつまでですか」と、おとうさんにきくとごはんのあとすぐだとおっしゃいました。僕も困ってしまうけれど、えいッと気合をかけて、とてもいゝのを書こうと思いました。
 黒鯛、黒鯛。
 なんだか、急に僕の頭はまっくろいおさかなでいっぱいになりました。黒鯛は大きい眼をしています。それでは変かな。まっくろいおさかなが、帆船のように青い海へ走りだしていくような、そんなところが心にうかんで来たけれど、そんな夢みたいなことはなかなかうまく書けません。
 吉田さんのおじさんは、
「私がおさかなを持って来たので、健ちゃんたちは大変なめにあいますね」
 と笑っておられました。
「なアに、二人ともなかなかめいぶんかでうまいんですよ、いわゆるめいぶん[#「めいぶん」に傍点]ですがね」
 とおっしゃいました。何のことだかわからない。
 ごはんのあと、僕と静子は机を二つあわせて、まんなかに電気をさげて、作文にかかりました。
 「黒鯛っておさかな、にくらしくなったわ。こわい顔してるのね」
 静子が、机にひじをついてためいきをつきながらいいました。
 僕は、エンピツをけずりながら、しずかにかんがえていました。だって、どこから書いていいのかわからない。第一、黒鯛なんて、おさかなにおめにかかったのは、今朝がはじめてで、いままで絵でみたくらいなもので、たべたこともなかったのだもの‥‥」
「健ちゃん待っててね、出来ても待っててね」
「ああいいよ、そのかわり静子が出来たら待っているんだよ」
 二人はかたく約束しました。
 静子は勉強する時、いつもするように鼻ばかりかんでいます。
 僕は、エンピツのしんを細くけずらなければ書けないくせがあるので、三本のエンピツをみんなていねいにけずっておきます。
 静子は、なかなか書けないとみえて、もじもじばかりしています。
「黒鯛って寒いところのおさかなかしら」ときかれても僕はだまっていることにしました。かまっていては僕が書けなくなってしまうからです。
「ねえ、どんなところに住んでいるの。浅いところかしら、深いところかしら‥‥ずいぶん骨の太いおさかなね。うろこが大きいわねえ」
 僕はじろりとにらみつけて、静子には返事をしない事にしました。
「あれはおさしみにならないっておかあさんいったわ、おさしみにするにはまずいって」
 あいかわらずしらん顔をしていました。

     くろだい[#「くろだい」は1段階大きな文字]

 くろだいはだれもいなくなっただいどころで、じっと大きい眼をあけていました。大きいざるがかぶせてあるので、だいどころのようすをはっきりみることが出来ません。もうお正月がちかいので、にしめでもにるような匂いがしています。
 くろだいは、だいぶくたびれたので、眼をとじようとしましたが、ここは海の中ではないので、ねむることが出来ません。ねむるのにつごうのよい岩かげもないし、砂地も塩水もないので、くろだいは心ぼそくなりました。夜がふけるにしたがってだんだん寒くなってきました。くろだいは、ふとんがほしいとおもいました。尾っぽの方からこおってきそうです。
 あたたかい海の中へかえりたいとおもいました。歩きたいのですけれど、人間のような足がありません。くろだいは、じっと耳をすませていました。ことっことっと何だか自分のそばを走っているものがあります。くろだいはこわくなってきて、うろこをガラスのようにかたくしていました。ここが海の中だったらいいとおもいました。どうして、あの時につかまってしまったのかと、くろだいはしずかな気持になって泣きました。あんまり泣いたので、大きい目玉に血がのぼってきました。水のないところなので、何でもかわいてしまいます。第一、しつぽもひれも固くなってうごきません。夜があけて来た時には、くろだいはかんがえることまでかたくこおりついていました。朝になって、うろこをほうちょうでそがれたのも知りませんでしたし、切身になってお塩をふられたこともわかりませんでした。夜になってじいじいとやかれた時には、くろだいのはだからおいしそうなあぶらが出ていました。もうからだは小さく切身になっていたので、くろだいはほんとうに何もかんがえる事も出来なくて、たましいだけが海の天国へふわふわおよいでかえりました。

 僕は、やっと作文が出来たので、ほっとしました。静子はおかっぱのかみを時々かきあげながら熱心にかいています。静子がまるでくろだいのようで、おかしくて仕方がありません。
「もう出来たの?」
「うん出来たよ」
「いいわねえ、私、まだ半分も書けないのよ。くろだいって、おかねで買うといくらぐらいなの? 百円もするかしら」
「知らないよ、だけどもっとするんだろう、あんなすごいのは」
「そうね、わたしたち、それぢゃあ、何十円ってたべたのね」
 静子は、どんなことを書いているのかな。静子は、すぐお金のことを気にするから、くろだいのねだんを書いているのかも知れないと思いました。
「さあ、やっと出来ました」
 静子は何だかとくいそうです。
「読んでいいかい」
 ときくと、静子はくすくす笑いながら、
「おかしいのよ、でもいいわ」
 といって、書いた紙を僕の机に持って来ました。

     くろだい[#「くろだい」は1段階大きな文字]

 ゆうべ吉田さんのおじさんが来ました。私はねていてしらなかったのですけれど、朝おきてお玄関の泥だらけのくつをみて、吉田さんのおじさんがかわいそうでした。宇都宮でおうちがやけてしまったのです。
 おじさんは大きいくろだいをおみやげにもっていらっしゃいました。千葉の船橋というところで買っておいでになったそうで、私のうちでは、こんな大きいお魚なんてみたことがありませんのでびっくりしました。
 たべてしまうのが気のどくみたいにりつぱなおさかなです。くろだいって、えいがでみるようなおさかなです。目玉がぐりッと大きいので、私の友だちのカツチャンのようです。かたみはお正月にたべるのだっておかあさまがおっしゃいました。
 おかあさまは、何年ぶりでこんなおさかなを料理するだろうとおっしゃいました。私のおうちはこんなおさかなをたべられるほどぜいたくなうちではないので、みんなでこのおさかなをたのしみにながめました。わたしたちもうれしくおもいましたけれど、おとうさまはまるでこどもみたいに、ものさしをもって来てはかっています。何百円ってするのでしょうけれど、そばにおじさんがいましたのでききませんでした。
 おじさんは、これから東京で、食料品のみせをだすのだそうです。三晩ほど御やっかいになりますといいました。おじさんのもっていらっしたお米が白いので、おかあさまは、白米ってきれいね、とおっしゃいました。
 私はお客さまがいらっしやるのはすきです。くろだいをもらったからではありません。

 静子はいつもこんなのを書きます。おとうさんにいわせると、静子は女のくせにつめたい人間だから、何でもはっきりしているのだとおっしゃいました。

     9

 すっかり春らしくなりました。
 僕は、このごろ、毎日畑つくりです。おとうさんと二人で灰をつくっては土にまぜてやります。僕の植えたからし菜がもう青青してきました。
 畑をするのはとてもたのしみです。
 せまい庭ですけれど、僕はいろいろなものを植えました。ほうれん草、ちしや、じゃがいも、小かぶ、春菊、そんなものを植えました。
 じゃがいもは、長野の本田さんのおじさんがすこし下さったのを、芽のところを中心にして二つ三つに切って、切り口へ灰をつけて植えました。だんしゃくという種類だそうです。とても大きいおいもです。
 僕はじゃがいもが好きです。
 早く花が咲いて、大きいおいもがごろごろ出来てくれるといいな。今日は、僕たちは、学校がお昼までだったので、金井君と畑をすることにしました。
 今日は金井君が、僕のうちの畑を手つだってくれる番です。二人はかわりばんこに手つだいあうことを約束しました。
 今日は、金井君は、畑にくいを打って、さくをつくってくれるのです。僕の家の近所はとても犬が多くて、せっかく、きれいにならしておいた畑の上を歩きまわって荒しているので、とてもしゃくにさわって仕方がありません。
 終戦前までは、犬なんかあまりいなかったのに、このごろとても野犬が多くなりました。首輪のない犬が、いままでどうしてくらしていたのだろうと思うくらい、大きいのや小さいのと、五六匹も走りまわっておもしろそうにふざけあっています。その中で、ポインタア種の、栗色をしたとてもすごいのがいて、子供たちはみんなこれをチョコといってこわがっていました。
 とても人なつっこいのですけれど、何となくこわいのです。もうおじいさんで、前は、本庄さんという家にいたのですけれど、そこの人が田舎へいってしまって、ほかの人が来たので、そのチョコは、一人ぼっちになったのです。
 僕の組はたいていみんな長野へ疎開して行ったのに、僕だけは、この本庄さんのチョコと東京へのこっていて、あのこわかった空襲をよく知っています。
 チョコは、僕になついているのですけれど、畑を歩きまはるのでにくらしくて仕方がありません。チョコは誰もかっている人はありません。それなのに、よくふとっ
前へ 次へ
全8ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング