といいました。静子はおとうさんを呼んで来ました。
おとうさんもやっぱり僕と同じように、そっとしておく方がいいといいました。僕は夏になると、いろんな生物がいるようになるのが好きです。
おとうさんはおやすみが来たら、僕を釣に連れて行こうといいました。
僕はいつものように、会社へ行くおとうさんといっしょに家を出ます。静子はいつもぐずぐずしているからほっといて行きます。
涼しい風が吹いている朝の街をおとうさんと歩くのは好きです。
「及川先生がまた学校へもどって来られたんですよ」
「そうか、それはよかったねえ、先生はお元気かな‥‥」
「ええとても元気で、昨日は先生が英語の歌をうたってくれましたよ」
「ほう‥‥」
「それから、南方でとったのだっていろんな蝶蝶の標本も見せてくれたんですよ。及川先生は戦争がすむと蝶蝶ばかりつかまえて大切にしていたんですって」
おとうさんの影法師が僕たちの前をひょこひょこ歩いて行きます。長い影法師です。
「ああさっき、八王子の子どもから健坊に手紙が来ていたよ、おとうさんにも来ているよ」
お家のポストにはいっていた手紙を、そのままおとうさんがポケットへ入れて持って来られたのでしょう。大きい字で書いた手紙をおとうさんが下さいました。僕は目白の駅で会社に行くおとうさんと別れました。
学校へ行くと、金井君が走って来ました。
「おはよう」
「ああ、おはよう」
僕はすぐ金井君に八王子の子どもの手紙をみせました。そしていっしょに手紙をひらいてみました。
はいけい。
長いことごぶさたしています。
たくさんお世話になっていて、何のお礼状も出しませんでお許し下さい。今日は書こう、今日は書こうと思いながら私は毎日せわしく暮しております。早く東京へ出てどこかへつとめたいのですが、東京へは転入出来ませんので、当分、近所のお百姓の手伝いをするより仕方がありません。私は百姓仕事はたいへん下手ですが、食糧がすくない折から、どんどん、どこでも手伝いに行くつもりでおります。桶屋ではたらくことを考えますと何でも出来ます。東京の青空市場へ行って野菜のあきないをしようかとおもっていますが、おばあさんがゆるしてくれません。私はお金をためて学校に行きたいのですが、おばあさんは、学校どころではないといいます。ゆうべ、うちのとなりで車人形というのをみせてもらいました。進駐軍の兵隊さんが二人見に来ていました。
一度ぜひこちらにもお出で下さい。
このごろ、私は麦刈りに行きます。うちでも少し麦をつくっていますから、粉になったら少しですが持って行きます。シャツをもらったぼっちゃんお元気ですか。よろしくおっしゃって下さい。
僕は八王子の子どもの手紙を読んで行きながら泣きたいようなかわいそうな気持になりました。金井君は「そのうち、学校が休みになったら行こうよ」といいました。
朝の体操の時間、及川先生と僕たちはフットボールをしました。それから討論会です。
「おとうさんにお仕事のあるものは手をあげて‥‥」
及川先生がいいました。僕はいきおひよく手をあげました。四十人の組のうち、手をあげないものが七人もいます。そのなかに、咲田という女の子がまじっていました。
「おかあさんがお仕事を持って働いているものは手をあげて‥‥」
組のうち半分が手をあげました。
「学校へおべんとうを持って来るのはちょっと困るなというお家の声をきいた人は手をあげて‥‥」
組のほとんどが手をあげたのでみんなわっと笑いました。及川先生も笑っています。
「どんなことをおっしゃっているの。金井君いってごらん」
「はい、僕の家は朝おかゆです。だから、僕とねえさんのためにわざわざべんとうをつくることは大変だっておかあさんがこぼします」
「ねえさんは学校ですか」
「いいえ、新聞社へ勤めています」
その次に咲田という女の子、「私の家は、いまおとうさんが失業していますので、朝は麦を粉にしてダンゴを食べます。私はおべんとうは持って来ないことにしています。夜はごはんです。たくさんいろいろなものをにこみます。でもなれてしまいましたから何でもありません」僕はじっと空をみていました。どうしてみんなこんなに困るのだろうと思うのです。戦争がすんだのだから、どんどんものが出来てよさそうなのに、どうしてこんななのだろうと思います。僕たちの教室だって焼けてしまっているし、いまは体操場が僕たちの教室になっています。窓の向こうは焼野原で、草や畑が青青しているけれど、まだまだ焼跡つづきでお家はなかなか建たないのです。
僕の家もおべんとうをつくるのは困っています。だから、朝ごはんをたいても、いつもたきたてのごはんがおとうさんや僕のべんとうばこへおさまるのです。僕たちは朝むしパンを食べます。弟が昔の古雑誌にの
前へ
次へ
全20ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング