「ねえ、どんなところに住んでいるの。浅いところかしら、深いところかしら‥‥ずいぶん骨の太いおさかなね。うろこが大きいわねえ」
 僕はじろりとにらみつけて、静子には返事をしない事にしました。
「あれはおさしみにならないっておかあさんいったわ、おさしみにするにはまずいって」
 あいかわらずしらん顔をしていました。

     くろだい[#「くろだい」は1段階大きな文字]

 くろだいはだれもいなくなっただいどころで、じっと大きい眼をあけていました。大きいざるがかぶせてあるので、だいどころのようすをはっきりみることが出来ません。もうお正月がちかいので、にしめでもにるような匂いがしています。
 くろだいは、だいぶくたびれたので、眼をとじようとしましたが、ここは海の中ではないので、ねむることが出来ません。ねむるのにつごうのよい岩かげもないし、砂地も塩水もないので、くろだいは心ぼそくなりました。夜がふけるにしたがってだんだん寒くなってきました。くろだいは、ふとんがほしいとおもいました。尾っぽの方からこおってきそうです。
 あたたかい海の中へかえりたいとおもいました。歩きたいのですけれど、人間のような足がありません。くろだいは、じっと耳をすませていました。ことっことっと何だか自分のそばを走っているものがあります。くろだいはこわくなってきて、うろこをガラスのようにかたくしていました。ここが海の中だったらいいとおもいました。どうして、あの時につかまってしまったのかと、くろだいはしずかな気持になって泣きました。あんまり泣いたので、大きい目玉に血がのぼってきました。水のないところなので、何でもかわいてしまいます。第一、しつぽもひれも固くなってうごきません。夜があけて来た時には、くろだいはかんがえることまでかたくこおりついていました。朝になって、うろこをほうちょうでそがれたのも知りませんでしたし、切身になってお塩をふられたこともわかりませんでした。夜になってじいじいとやかれた時には、くろだいのはだからおいしそうなあぶらが出ていました。もうからだは小さく切身になっていたので、くろだいはほんとうに何もかんがえる事も出来なくて、たましいだけが海の天国へふわふわおよいでかえりました。

 僕は、やっと作文が出来たので、ほっとしました。静子はおかっぱのかみを時々かきあげながら熱心にかいています。静子
前へ 次へ
全40ページ中13ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング