ます。
黒鯛は、おかあさんがおやきになりました。僕たちみんなで食べました。おいしくて仕方がない。さっぱりしていて。久しぶりのお魚なので宏ちゃんも、おさかなととね、と大よろこびでした。
おとうさんが、僕と静子に、「黒鯛」という題で作文を書いてごらんとおっしゃいました。静子はあかい顔して、困った、困った、と、むくれていました。
「いつまでですか」と、おとうさんにきくとごはんのあとすぐだとおっしゃいました。僕も困ってしまうけれど、えいッと気合をかけて、とてもいゝのを書こうと思いました。
黒鯛、黒鯛。
なんだか、急に僕の頭はまっくろいおさかなでいっぱいになりました。黒鯛は大きい眼をしています。それでは変かな。まっくろいおさかなが、帆船のように青い海へ走りだしていくような、そんなところが心にうかんで来たけれど、そんな夢みたいなことはなかなかうまく書けません。
吉田さんのおじさんは、
「私がおさかなを持って来たので、健ちゃんたちは大変なめにあいますね」
と笑っておられました。
「なアに、二人ともなかなかめいぶんかでうまいんですよ、いわゆるめいぶん[#「めいぶん」に傍点]ですがね」
とおっしゃいました。何のことだかわからない。
ごはんのあと、僕と静子は机を二つあわせて、まんなかに電気をさげて、作文にかかりました。
「黒鯛っておさかな、にくらしくなったわ。こわい顔してるのね」
静子が、机にひじをついてためいきをつきながらいいました。
僕は、エンピツをけずりながら、しずかにかんがえていました。だって、どこから書いていいのかわからない。第一、黒鯛なんて、おさかなにおめにかかったのは、今朝がはじめてで、いままで絵でみたくらいなもので、たべたこともなかったのだもの‥‥」
「健ちゃん待っててね、出来ても待っててね」
「ああいいよ、そのかわり静子が出来たら待っているんだよ」
二人はかたく約束しました。
静子は勉強する時、いつもするように鼻ばかりかんでいます。
僕は、エンピツのしんを細くけずらなければ書けないくせがあるので、三本のエンピツをみんなていねいにけずっておきます。
静子は、なかなか書けないとみえて、もじもじばかりしています。
「黒鯛って寒いところのおさかなかしら」ときかれても僕はだまっていることにしました。かまっていては僕が書けなくなってしまうからです。
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