た。
この三人は家じゅう、誰もみな元氣でいたけれども、善ちゃんだけは、お父さんがビルマで戰死して、お母さんは甲府の疎開さきで病氣で亡くなって、お姉さんと二人で東京へ戻って來た。いまは池上の叔父さんの家にいる。
月のうち、一度は小瀧町の巖ちゃんのうちにあつまる事になっていた。四人があつまると、狹い家の中が、まるでお祭りみたいに賑かになって、ラジオを十臺も鳴らしているようだと庄作さんが冷かしている。
おにおん倶樂部員は、月に一度は集るのだから、一ヶ月のうちに、何かいい事をして、その話を持ち寄ろうではないかと約束がきまった。
何かいい事をすると云っても、わざと、いいことをつくる工風をするのは面白くないから、自然な氣持でいい事をすると云うのが、善ちゃんの意見である。だから、一つもいいことをしなくても仕方がない、嘘の氣持ちでそんなことをするのはごめんだと云うのも善ちゃんだったので、皆、善ちゃんの意見には賛成した。
ところが、巖ちゃんはなかなかの冒險好きで、いつも、夢みたいな空想ばかりしているので、おにおん倶樂部員は、巖ちゃんの事を、煙りの巖ちゃんと云うあだなをつけていた。
九月總會が
前へ
次へ
全11ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 芙美子 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング