‥」
 女は丁寧に腰を屈めると、小走りにもと来たリラの前へ走つて行つて、子供つぽく、男の方を振り返つて優さしくニツと笑つた。

 2 銀座料理店リラの内部、また雀をどりの唄が、あつちこつちの女の唇にばらばらと残りながら、海の底のやうに静もり返つてゐた。椅子に腰をかけてゐるのは、五人の女ばかりで、客は一人もゐなかつた。ひつそり閑として、戸外の雪の気はいが、此の小さい料理店リラの中にまで、泌み透つて来てるかのやうで、女達は、いまさらふつと唄を止めてしまふのも淋し気に、冷々とした顔をしてゐた。たゞこの店で一番古いお粒だけが、南洋産のシダのやうな鉢植の蔭でウイスキーを引つかけながら、苛々と怒鳴つてゐる。
「かう甘く見えたつて、七転び以上なンだよ、一転びの苦労もなめた事がないくせに、一かどの苦労をしよつた気の女が多いンだから、全く呆れけえるだわ、ねえ、勘ちやんさうは思はないかい?」
 顔の長いバアテンダーは、桃色の紙風船をふくらましながら、
「冗談云つちやアいけないよ、七転びどころか、今の世の中ア、百転びの方が多いンだぜ」
「馬鹿、何によう云つてるンだい、フゝゝお神さん転ばして風船吹いてゐなよだ
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