見え出した。二人とも沈黙つてしまふ。だが沈黙つてゐると、二人とも何かにせきたてられるやうな気持ちであつた。
 二人とも強く愛しあつてゐながら、なぜか悲しいことに、各々の家庭のことを憶つてゐた。――直子は、庭の見えない三畳の部屋で、一人で積木をしてゐる子供の姿や、眼の薄くなつた母親の事を考へてゐた。
「もう五ツにもなつたのだから? 私が田舎へ連れて帰つて、何とか育てるから、お前は良い縁でもあつたら、かたづいておくれ」
 孫の相手にヨネンのない母親の言葉が、妙に心に残つてゐた。だが、こんなに愛してゐる男には、妻があるではないか。子供が二人もあつた。
 また、男は男で、長い間の家庭の習性を恐ろしく考へてゐた。
「お早うございます」
 二人の子供と一緒に顔を洗つて、一緒に食卓について、「行つていらつしやいまし」と云ふ妻の言葉は時計のやうに何年か狂つたことがなかつた。つゝましく清らかな生活でありながら、妙に飄々と心の中に風が吹きこむこの気持ちはどうしたことだらう。
 学生時代の思ひ出、外国生活の何年間か、みんな、妻にやましくない生活であつたが、今は、我命以上にも此料理店の給仕女を愛してゐる。
 
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