「リラ」の女達
林芙美子
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【テキスト中に現れる記号について】
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#「ありやせ」に傍点]
/\:二倍の踊り字(「く」を縦に長くしたような形の繰り返し記号)
(例)サバ/\しやしない
*濁点付きの二倍の踊り字は「/″\」
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1 もう、いゝかげん退屈しきつて、女達は雀をどりの唄をうたつてゐた。――その雀をどりの唄は、じいつと聞いてゐると、女達[#「女達」は底本では「達」]自身の心境を語つてゐるやうで、外の雪のけはいと一緒に、何か妙に譚めいて聞えた。
料理店リラの前の赤い自動電話の屋根の上には、もう松茸のやうに雪が深くかぶさつて淡い箱の中の光りは、一寸遠くから見ると古風な洋灯のやうにも見える。
まだ暮れたばかりなのに、綿雪が深々と降りこめて、夜更けのやうに静かだ。リラの鎧戸風な窓からは、さつきの雀をどりの唄が、まだしんみりと流れて聞えて来る。
洋灯のやうな自動電話の中には、紺の玉羅紗のオーヴァを着た中年の男が、時々疳性に耳を掻きながらさつきから、何か受話機に話しかけてゐた――時々チラチラとリラの入口を眺めながら、リラの様子を窺つてゐる風でもある。
息でくもつた電話室の外の街路は、頭を白く染めた電車や自動車が、ひつきりなしに走つて行く。「えゝツ? だから、一寸でいゝんだから出ていらつしやい、僕が行つても、いゝんだけれど、岡田なンかにみつかると厭だから‥‥判つたア?」電話の男がこんな風な事を云つて、ガチヤリと受話機をもとへもどした。偶と入口を向いたその男の顔には、美しい薄笑ひが残つてゐて、まるで少年のやうに血があがつてゐる。――男はポケットから煙草を取り出すと、ライタアで器用に火を点じた。その時、リラの緑硝子の扉が開くと羽織も着てゐない細々とした姿の女が、いまのいま雀の唄をやめて、仲間から離れて来たと云ふ風に、口のうちでありやせ[#「ありやせ」に傍点]、こりやせ[#「こりやせ」に傍点]とつぶやきながら、それでも眼だけはおろおろとして出て来た。出て来ると、厚い雪の中を草履のまゝコトコトと二三軒もさきの街角の暗がりまで歩いて行く。
男は、街角に立つた女の後姿を眼にすると、煙草の火を何度も赤く呼吸させながら、電話室の重い扉を開けて、やつぱり女と一緒の方向に歩ゆんで行つた。
「寒かない?」
「いゝえ‥‥」
「直子さん、なかなか逃げ口上がうまくなつた」
「あらア、あんな厭味なこと‥‥」
「まア、何でもいゝさ、この儘どつかへ行つてしまひたいナ」
「えゝ‥‥」
「行つてもいゝ?」
「そんな無茶なことツ、駄目! 駄目ですわ、苦しむばかしですものウ‥‥」
小豆色の女の肩に、綿雪が柳の葉のやうに降りかゝつてゐる。男は帽子のまゝもう霜降りの姿で、焦々してゐるかのやうであつた。
「自動車が来てゐるンだけど‥‥」
「えゝ‥‥ぢやア、明日お供しますわ、今晩はもうお帰りンなつて、ねえ、でないと岡田さんもですけれど、お粒さんが大変なンですもの‥‥」
男はハンカチでパタパタと、女の肩の雪を払つてやりながら、いつとき女の眼を視てゐた。
「ぢやアさよなら‥‥」
「さう――さよなら、明日何時に自動車を向けたらいゝの?」
「お店の前ですと、あのウ困りますから、どつか遠くで待つてゝ下さるといゝンですけれど‥‥」
「ぢやア、新橋の駅。僕ンとこの自動車知つてるでせう?」
「えゝ――では夕方四時ごろ‥‥」
女は、急にコンコンと小さいセキをしながら、袂を口にあてた。
「風邪をひくンぢやない、ぢやア、明日きつと‥‥」
女は丁寧に腰を屈めると、小走りにもと来たリラの前へ走つて行つて、子供つぽく、男の方を振り返つて優さしくニツと笑つた。
2 銀座料理店リラの内部、また雀をどりの唄が、あつちこつちの女の唇にばらばらと残りながら、海の底のやうに静もり返つてゐた。椅子に腰をかけてゐるのは、五人の女ばかりで、客は一人もゐなかつた。ひつそり閑として、戸外の雪の気はいが、此の小さい料理店リラの中にまで、泌み透つて来てるかのやうで、女達は、いまさらふつと唄を止めてしまふのも淋し気に、冷々とした顔をしてゐた。たゞこの店で一番古いお粒だけが、南洋産のシダのやうな鉢植の蔭でウイスキーを引つかけながら、苛々と怒鳴つてゐる。
「かう甘く見えたつて、七転び以上なンだよ、一転びの苦労もなめた事がないくせに、一かどの苦労をしよつた気の女が多いンだから、全く呆れけえるだわ、ねえ、勘ちやんさうは思はないかい?」
顔の長いバアテンダーは、桃色の紙風船をふくらましながら、
「冗談云つちやアいけないよ、七転びどころか、今の世の中ア、百転びの方が多いンだぜ」
「馬鹿、何によう云つてるンだい、フゝゝお神さん転ばして風船吹いてゐなよだ
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