お粒は興ざめた顔で鉢植の蔭から出て来ると、寝呆けたやうな女達の椅子の中へはひつて行つた。
 女達は、お粒の変にからんだ高話をきいてゐたが、恰度、直子がふつさりとした髪の毛に綿雪をつけたまゝ這入つて来たので、そのまゝまた雀をどりの唄をつゞけるのであつた。
「お楽しみ!」
「‥‥‥‥」
「お直さんは外まで商売繁昌で、中々おうらやましい事ですよ」
 お粒の尖つた物の云ひぶりだ。直子は沈黙つたまゝ壁鏡に向かひ、ハンカチで頭髪の綿雪を拭きながら、背を射てゐるお粒の眼を痛く心に感じた。
「お直さん! さつきは牧さんからのお電話でせう?」
「‥‥‥‥」
「オヤ! まア、何時お直さんは唖ンなつちやつたの?」
「それとも、私なンかには今後ものを云はないカクゴでゞもおいでなンでございますか?」
 かうなると、女達も雀の唄どころではない、酔ひが程よくまはつて来たお粒を囲んで、てんでに、「まアいゝぢやないの」と止めるばかりであつた。止められれば止められるで、お粒はいつそう腹が立つて腹が立つて直子から一言でも何かいはせなければとあせつて来るのである。
「酔つぱらひの女だと思つて馬鹿にしてるの? いくらでも踏んづけて馬鹿にされませうえゝツ!」
「‥‥‥‥」
「まア、さア、粒子さん何云つてンのよオ、こんなに雪が降つて、みんなくさつてンのにさア‥‥」
「勝手にくさつてればいゝぢやないか‥‥ええツ、だいたい私を酔つぱらひだなんぞと、高をくゝつたその済ました顔が口惜しいのよ馬鹿にしてる」
「御免なさアい、そんなンぢやないのよ――さあ、レコードでもかけて賑やかにならない?」
 天井には造花の蔓薔薇が、黄色いランタアンを囲んでビイドロのやうに紅く咲いてゐる。
 直子は、何時か眼頭が熱くなつてゐた。
「雪のせゐよ、こんなに客もなくなつて、皆苛々してンのは‥‥」
 片隅で、背丈の小さい百合子と、唇に黒子のあるせん子が、ひそひそとさゝやいてゐる。お粒は、皮張椅子に埋もれながら、もう沈黙りきつてゐる直子にはみきりをつけたのか、袂で顔をおほうて雀の唄を、間のびた声でうたひ出した。

 3 「まア、随分ひどい雪だ」
 唄をうたふ事も辛気くさくなつてか、せん子は扉を押して街路を見てゐる。――百合子は薬指の根元にメンソレを塗りながら指輪の固いのを抜いてゐた。
「どうしたのさア‥‥そんなことして‥‥」
 百合子と仲のいゝサトミが、同じく椅子に身を寄せて、ものうげに百合子の子供のやうな手を見てゐる。
「一寸、ビックリしたつて字はどう書いたらいゝの?」
 とんきやうもない大きな声で、今まで部屋の隅で手紙か何かを書いてゐた操が、百合子達の方に向つて声をかける。すると袂で顔をおほうて雀の唄をうたつてゐたお粒が、偶と立ち上つて、部屋の中を見まはした。
「ねえ、ビックリつて字知つてるウ?」
「ビックリつて、キツキヤウと書くンでせう。随分変な字きくのねえ?」
 サトミが、小さい伝標に吃驚と書いて持つて行つてやつた。――部屋の中は、温いには温かつたが、妙に白けきつて、女達は、たゞ心の向くまゝに影のやうにふはふはと動いてゐた。その影のやうな女達は、このやうな静けさをめつたに持つた事がないので、かへつて誰でもいい早くはひつてくれた方が助かると云つた風な、そんな気持ちで、各々所在なげである。――その所在なげなところへ、会社員風な男達が三人、扉を押して、雪まぶれになつてはひつて来た。部屋の内部が急に活気づいて、女達は助はれたやうに、男の傍へ泳いでいつた。
「随分不景気なンだね‥‥」
「冗談いつちやアいけませんわ、これからよウ」
 操が手紙をほうりつぱなしで、三人の男達のオーヴァをぬがせた。お粒は男の中の一人と見知り越しなのか、急にハスッパになつて、その男の肩に凭れ、何か耳打ちをしてゐる。
「オイ、一人だけもてるンぢや帰つてしまふぞオ」
 男達は熱いタオルで顔を拭きながら、怒鳴つた。
「冗談いつちやアいけないわ、この間、中村さんに麻雀負けちやつたから、その負けたンで飲まれちやたまンないからさ、御ユウヨを願つてたところなのよオ、馬鹿々々しい。チェツだ」
「ホヽウ、それは耳よりな話だねえ、オイ少し位チヨウクワしてもえゝぞ、えゝぞ」
 女達はキャツキャツと笑つた。
 レコード、「ワン、キッス」のジャズがまはつてゐる。やうやく部屋の中が少しあかるくなつて来た――温く、あかるくはなつて来たが、さき程の、誰か早く這入つて来てくれゝばいゝといつた気持ちも、かうして三人の男達が這入つて来れば来たで、泳いで集つたのは一寸の間であつた。また、糸が切れたやうに、操やお粒をのぞいての女達は、バラツと四隅の椅子へ散つてしまふ。

「それで指輪返へしちやふの?」
「勿論よ、こンなものさへやれば、魂まで自由になるつて思つてる男が憎ら
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