?」
 言うことが荒《あら》っぽい。

      二

「ウヘッ! 馬の骨? 先生、情ない。ナ、何ぼ何でも、馬の骨とは情ない……」長庵は、誤魔化してしまおうというので一生懸命だ。「御自身|御執心《ごしゅうしん》の園絵さまをさして馬の骨とは、そりゃ先生、聞えません。へい、第一、園絵さまをおつれするようにと、先生から脇坂様へお話がありましたればこそ、こうして手前が――」
「長庵さま! 何をおっしゃるのです。わたしは……」
 必死に言い立てようとするお妙を、長庵は、手を出して口を塞《ふさ》がんばかりに、
「何を言わっしゃる。お妙どの……」
 うっかりお妙どのと言ってしまったから、造酒は耳ざとく聞き咎《とが》めて、
「フム、お妙と申すのか。いずれさようなところであろうと思っておった。これよ、坊主、貴様は黙っておれ!」と長庵を極《き》めつけて、ジロリとお妙を見た。「妙! 貴様はどこの娘だ。下谷と申したナ」
「はい。下谷黒門町の……」
 言いかけると、それを言われてはたまらない。長庵は泡《あわ》をくらって、
「殿様! ク、首が動《うご》きました。あれ! 首が動きました」
 死にもの狂いで室内《へや》の机の上の首を指さした。が、
「黙《だま》っておれ! 首が独りでに動くか」
 極《き》めつけられて、長庵今度は造酒の袖を引っ張った。
「イエ、冗談ではございません。あの通り、首が笑っております」
「五月蠅《うるさ》いッ!」振り払った造酒が、お妙に、「ウム、下谷黒門町の何の何屋の娘だ?」
「父は壁辰と申す左官でございます」
「ア、言っちゃった――」
 長庵はガックリすると同時に、逃げ腰である。そこをグッと押えた造酒、なおもお妙へ、
「左官の娘か。神尾喬之助の妻園絵ではないな」
 恋する喬之助の妻ではないかと問われて、普段ならお妙、真ッ赤になるところだが、今は色の恋のとそんな場合ではないから、
「いいえ、喬之助様の奥様などと、飛んでもない……」
「坊主ッ!」
 怒気《どき》を破裂させた造酒が、グッ! 手をのばして長庵の襟髪《えりがみ》を掴んだ。お六が割り込んで来た。
「何ですねえ、首を前にして長詮議《ながせんぎ》――面白くもありませんよ。それより、下手人はまだこの屋敷内に潜《ひそ》んでいるにきまっています。そっちのほうへ掛らなくては――」
「貴様はスッ込んでいろ!」大喝した造酒、「こら、長庵! この換玉《かえだま》は貴様の思いつきか、それとも山城も承知の上でか。とにかく、今夜はこの娘をつれて早々退散しろ。下谷黒門町とやらの家まで送ってつかわすのだ。山城のほうへは、当方より追って挨拶いたす」
「何を言っているんですよ」お六だ。嫉妬半分《やきはんぶん》である。「あなたが色好《いろごの》みで変な気を起すからこんなことになるんですよ」
「貴様は黙っておれと申すに! 妙……と申したな、今に此家《このいえ》に血の雨が降るから、長庵坊主にクッ着いて早速引き取れ」
 途端に五人は、言い合わしたように声を呑んだ。
 笑い声がする――どこからか、クックックッ……忍《しの》び笑《わら》いの声がするのだ。
 わアッ! と柄《がら》にもなく、悲鳴を揚げたのは長庵だ。
「それ御覧なさい。だから言わないこっちゃない。首が――首が笑っているじゃアありませんか」
「何でもよい!」グッと威を示した造酒だ。「坊主は娘の手を引いて下谷へ急げ!」
 呶鳴《どな》ったところで、忍び笑いがもう忍び笑いではない。公然と、ゲラゲラ笑う声が近くに起って、ズサリ! 首を奉安した座敷、その床の間わきの押入れを内部《なか》から開けて、のそりと立ち出でた異装の人物がある。家の中で釣り竿《ざお》を担いでいるさえあるに、その挨拶がまた、恐ろしくサッパリしたものだ。
「首を供《そな》えたのはわしじゃよ。お手前は、神保先生じゃろう。一つ、釣り上げてくれよか」
 というのである。言わずと知れた魚心堂大人だ。妙見勝三郎の首がくわえている紙きれを、ツと毟《むし》り取って、造酒の足もとへポイと抛《ほう》った。
「ソレ! 十番首じゃよ」
 ニコニコ笑っている。

      三

 それより先、この源助町の道場、無形一刀流の看板を上げた玄関口は、大変な騒ぎだ。何しろ、深夜に客が来て、その客の背中に貼紙がしてある……「亡者」と大書して。
 それさえ事穏やかでない上に、しきりに案内を乞うていたその客が、取次ぎに出てみると、何時の間にか首のない屍体になって、いともおとなしく寝ころんでいるのだから、これは胆《きも》をつぶすほうが当りまえで。
 発見者の大声に夢を破られて立ち出でた一同、三羽烏の大矢内修理、比企一隆斎、天童利根太郎をはじめ春藤幾久馬、遊佐剛七郎、鏡丹波ら、ワイワイ騒いでいる。
「おいおい、他人《ひと》の家へ首を忘れて来やアがった。テッ! そそっかしいやつもあるもんだ。誰だこりゃア?」
「馬鹿ッ! 首を忘れて来るてエやつがあるか。第一、首が無くて歩けるか。方向がわかるまい。眼は、御同様首についているからナ」
「なるほど、それは理窟だ。が、その首がなくて、どうしてここまでやって来たろう?」
「今の今まで、頼もう、頼もうといいおったが、あの声は口から出おったに相違ない。口は首についておるはず。その首が無くして声を発したとは、イヤ、貴殿の前だが、不可思議千万……」
 ナニ、不可思議千万なことがあるものか。
「一体何者だ」
「何者だと言って、それは無理じゃよ。見らるる通り首がないのじゃから、どこの何ものともわからぬ」
「あッそうか。首は、どこかそこらに転がっておらぬか」
 安人形と思っている。一人が屍体に手をかけて見て、
「おやア! 背中に紙が貼《は》ってあるぞ! 何だと……亡、者? ワッ! 亡者とある。ウム、確かにまた、喬之助の悪戯《いたずら》――」
「すると、御書院番士の一人にきまった。これはこうしてはおられぬ」
 こうしてはおられぬと言ってさし当りどうしようもない。剣士一統、矢鱈《やたら》に柄を叩いて敷台《しきだい》から前庭《まえ》の植込み、各室へ通ずる板廊《いたろう》のあたりをガヤガヤ押し廻っていると、
「さあ大変! この間に早く」
 頭のてっぺんから声を出して、風が吹くように奥からスッ飛んで来た二人の人影がある。ソラ出た! と言うんで、気の早い鏡の丹ちゃんなんかがおっ取り刀、グルリ取り巻いてみると、長庵先生と市松お六だ。長庵はとにかく、お六はこれでも師匠造酒の本妻とも妾ともつかない、謂わばこの下町の道場の大姐御だから、門弟一同、奥様扱いして一|目《もく》も二|目《もく》も置いているのだ。
「どうなさいました」比企一隆斎が口をきって、「この坊主は何ものです! こいつを成敗《せいばい》なさいますか」
 気がつくと、お六は、長庵と手を握《にぎ》り合っているから、あわてて離して、
「イイエ、そうじゃないんですよ。この方は大事なお客様、わたしがお送りして、今お帰し申すところ――それより、奥に、釣竿を担《かつ》いだ変な入道《にゅうどう》が飛び出して、先生と斬り合いになろうとしています。皆さん、早く行ってみて下さい。その入道がこの妙見様を首にしたんですよ」
「エッ! こ、これは妙見……妙見勝三郎殿ですか。どうしてわかります?」
「奥の床の間の前に首が飾《かざ》ってありますもの」
 それだけ聞くと、廊下を踏み鳴らして、弟子達はみんな一人残らず奥へ駈《か》け込んで行く。
 玄関口を飛び出したお六と長庵、妙見の死体に躓《つまず》いて胆を冷やしながら、
「さあ、長庵さん。この間に逃げるんだよ。しっかりおしよ」
「お六坊、暫らくだったなア。こんなところに巣《す》ウ食《く》っていようたあお釈迦さまでも――」
「何を言っているんだよ。捕まらないうちに、麹町とかのお前の穴まで逃亡《ずら》かろうじゃアないか。わたしも、あんな呑んべえには飽きあきして、先刻《さっき》もさっき、フッとお前さんのことを思い出して憂鬱《ゆううつ》になっていたところさ」
 ユーウツなんてそんな蒼白いことは言わない。グイとお尻を端折《はしょ》ったお六。長庵とつれ立ってスタスタ、旦那の造酒を置いてきぼりにして逐電《ちくでん》する。
 暗黒の街路《まち》。歩きながらの会話。
「お六、飛んだ道行《みちゆ》きだなア」
「あいサ。粋《いき》な糸《いと》の欲《ほ》しい幕《まく》だけれど、あんまりパッとした着付けじゃアないね」
「しかし、あの、酒を持って顔を出したのがお前《めえ》だったのに、おいらも愕いたよ」
「あたしこそビックリしたよ――別れて何年になるかしら」
「まア、そんな話は後だ。だが待てよ、どうせあの娘の一件で、神保のほうから脇坂の殿様へ強《きつ》い掛合《かけあ》いが行くに相違ねえ。こうしてインチキが露《ば》れたからにゃア、おいらも安閑としてはいられねえのだ。ナニ、そのほか何やかやと、ちっとばかりヤバい身体だ。こいつア余燼《ほとぼり》が冷めるまで、当分江戸を売るほうが上分別かも知れねえ」
 平河町の自宅へは立ち寄らずに、ああして数年前駿州江尻在大平村から一緒に上京して以来音信不通になっていたこのお六とともに、いずくともなく長い草鞋《わらじ》をはいてしまった。
 あとから又平河町の家へ舞い戻って、例の「村井長庵」なる事件を起して処刑《しょけい》されるに到ったのは、数年後のことである。

      四

 釣竿を肩にブラリと立ち現れた魚心堂へ、神保造酒は不思議そうな眼を凝らして、
「貴殿はどなたかな?」
「わしか。わしは釣りの神様じゃ」
 珍妙な応答をしている。
「ははア、釣りの神様。その釣りの神様がまた何しにここへ?……その十番首は貴殿のしわざか」
「さよう。ちょっと捌《さば》いて首に致した。どうせ喬之助どのが亡者と貼紙してここへ寄こしたのじゃからナ」
「神様だけに、言うことがさっぱりわからぬ」
「今にわかる」と魚心堂は、長庵とお六が、門弟どもを呼んで来ると言って玄関のほうへ走り去ったあと、ひとり造酒のかげに顫《ふる》えているお妙を見やって、
「ほんとの用は、その娘だ。その娘を取り戻しに来たのじゃ。わしが下谷まで送って進ぜようと思ってナ」
「そうか、この娘を取り返しに来たのか。そうと解れば、遣らぬ!」造酒はここで大声を揚げた。「こうするがどうだ?」
 こうする……どうするのかと思うと、やにわに大刀《だいとう》銀百足《ぎんむかで》の鞘を払った造酒だ。お妙の胸ぐら取ってそこに引き据えると同時に、紙のように白い咽喉首《のどくび》に切尖《きっさき》を擬《ぎ》した。
「来るか。来ると、一突きだぞ……」
 が、その時、長庵とお六に教えられた三羽烏他一同が、ドドドドッ! と跫音《あしおと》荒く踏み込んで来たので、あるいは敵か?――と、造酒、ちょっとそっちへ注意が走った。いや、注意が行ったというまでのことはなくても、つとその人々の動きが造酒の意識《いしき》に入って来た。と思うと、魚心堂が、ぱアッ! 投網《とあみ》を下ろすように全身を躍らして竿をしごいたのだ。糸が……蜘蛛の巣のような釣り糸が、粘《ねば》って、光って、虹《にじ》[#「虹《にじ》」は底本では「紅《にじ》」]の如くに飛んだ。絡《から》んだのである。造酒の刀身に渦をまいて纏《まつ》わりついたのだ。
 しかし、糸は糸、造酒が刀を引くが早いか、フッツリ切れたが、こういう些細《ささい》な邪魔でも、馬の眼を羽毛《うもう》が掠めたようなもので、気合《きあい》である。弾《はず》みである。微妙《びみょう》な刀機《とうき》を尊ぶこの場合、魚心堂はこの動きで、立派に先を制することが出来たのだろう。造酒が、刀を横に流して、魚心堂のかけた糸を切り放していた時、魚心堂はすでに、お妙を小腋に抱きかかえて、雨戸を蹴破って、その板戸とともにでんどう[#「でんどう」に傍点]返し、見事に庭に降り立っていた。素早く追った造酒の長剣は、それこそ銀百足のように、庭へ倒れようとする雨戸を一枚ザアーッ! と這って二つにしたに過ぎない。
 その戸を背に刀を避けた魚心堂
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