は、お妙を急《せ》き立てて庭を走って行く。黒い影が二つ、築山を廻って消えようとしている。
「先生! 今のが狼藉者《ろうぜきもの》でござりますか、心得ました。それッ!」
 一同に下知《げち》してバラバラバラッ! 庭へ跳び下りて追いかけようとする天童利根太郎を、造酒は、白刃を突き出して制《せい》した。
「よい! 逃がしてやれ、面白い爺さんじゃ。それに、お前たちは、束《たば》になっても敵《かな》わぬ。敵わぬ」
 あッはッは! 庭松の月を仰いで、造酒は肩を揺すって哄笑《わら》った。

      五

 登城。下城。お濠端《ほりばた》。雨のような日光。
 下城する南町奉行、大岡越前守忠相。
 登城する平淡路守。
 大手先である。二つのお行列が一つになっている。笠のような大松の下に擦れすれにお駕籠を寄せて二人は親友である。駕籠の中から駕籠の中へと、何やら低声《こごえ》に話を交しているのだ。
 淡路守の眼尻に、皮肉な鋭い、しかし怜悧《れいり》そのもののような小皺が寄る時は、かれ淡路、重大なことを事もなげに言い出すときである。今がそれだ。越前守は知っているから、温厚な顔に、こころもち緊張を見せて、じイッと相手の眼を見つめている。
「私も考えておったが、形勢もきまったようですぞ」平淡路が言うのである。「この際、山城の言《い》い分《ぶん》の逆《ぎゃく》に出たほうがよいように思う」
「それは、言うまでもなく、山城殿は私情《しじょう》に動かされております。さもなくて、伊豆屋からお油御用を取り上げて筆屋幸兵衛へ用命しようなどと、さような小事にさほどまで執着《しゅうちゃく》さるるはずはないと、イヤ、これは、越州一個の考えでござるが――」
「私情? 私情は大出来! いつもながら大岡殿は皮肉でござるな。うっかり聞いておるとそれだけの言葉だが、さて、その言葉を砕《くだ》いてみると――ハハハハハ、どうも油断がならぬ。脛に傷持つ身には煙たがられる訳です。私情はよかった。いかさま私情、私情、金がほしさに、まいないを受けて策動《さくどう》いたす。わが身第一の動機で、なるほどコリャ私情、まさにわたくしの情でござるテ」
「ウフフフ、さような意味で申したのでもござらぬが――」
「断乎として山城の案を一|蹴《しゅう》し、従前どおり伊豆屋伍兵衛を引き立てて然るべく存ずるが、越前どの、御高意如何《ごこういいかが》?」
「ここはどうあってもそうあるべきところ」
「然らば即座にさようお取計らい下さらぬか」
「それについて、越前に一計がござるが……」
 あとは、駕籠と駕籠を一そう近づけて、耳打ちのように密談《みつだん》になったが、そのまま二人は、やがて、屈託《くったく》のない笑い声を残して左右に別れた。
 その夕方である。
「御免下さいまし」
 神田の伊豆伍の店へズイとはいって来たのは、金山寺屋音松である。月番《つきばん》の町年寄《まちどしより》立会《たちあ》いの上で、おろおろしている伊豆伍夫婦にお上の一書を渡した。またお差紙《さしがみ》かと開いてみると、「お油御用《あぶらごよう》精励《せいれい》でお上も満足、今後とも充分気をつけて勤めますよう?――」言わば褒状《ほうじょう》である。大岡様からそっと出たものだ。一計といったのはこれである。これで、今べつに改まって御沙汰はなくても、伊豆伍の油御用は永続的なものとなり、従って、筆幸としては痛い釘を一本刺された形で、スッカリ断念《だんねん》しなければならなかった。脇坂山城守が面目《めんもく》をつぶしたことは言うまでもない。間もなく退官して隠居《いんきょ》の身となっている。

      六

 十番首を自邸で上げられて以来、源助町は躍起《やっき》にならざるを得なかった。剣士達は毎日毎夜、隊を組んで喬之助を捜《さが》し歩いている。十人まで首にされて愈々|恐慌《きょうこう》を来《きた》した残りの番士たちは、この上は源助町に頼《たよ》って身を守るよりほか仕方がない。自然、源助町の道場は「喬之助討取事務所」の観をていして、何日にも亘《わた》って大掛りな会議が行われている。会議と言っても、いつもそう固く控えてばかりいられないし、それに、御大造酒先生をはじめ飲《い》ける連中が揃っているので、早くいえば酒宴である。その酒宴の最中に、一夜、庭さきの暗がりから一本の矢文《やぶみ》が飛来して……矢文、矢のさきに手紙が挾《はさ》んである。開いてみると「明夜、残余の首頂戴に参堂、御用意あれ」――何とも不気味な、人を食った文言《もんごん》である。
 次ぎの夜。すっかり支度を調え、一同刀を撫して待っているところへ、堂々と斬りこんで来た二人喬之助と魚心堂にお絃、それに喬之助弟琴二郎。喧嘩屋の見せ場である。喬之助と右近の影武者同士は例によって神出鬼没《しんしゅつきぼつ》をきわめ、魚心堂はその唯一の武器である別誂《べつあつら》えの釣竿を振り廻し、知らずのお絃ちゃんは男装している。しかも、喬之助や右近と同じ装束で、長い刀《やつ》までひねくり廻しているんだから、ちょっと見ると喬之助が三人いる訳で、実にどうも紛《まぎら》わしいこと夥《おびただ》しい。大変な乱闘となったが、屋敷の内外に朝まで斬り結んだ。その夜、首になった番士は、十一番首飯能主馬、十二番首箭作彦十郎、十三番首池上新六郎……愛嬌者の保利庄左衛門は池へ潜《もぐ》って首を出したり引っこめたりして助かり、荒木陽一郎は、先祖又右衛門の名を辱しめること甚しいやつで、女中部屋へ逃げこんで、蒲団《ふとん》をかぶって女中になりすまし、一命を全《まっと》うした。立派に働いて、しかも最後まで生き残ったのは、わずかに山地重之進、横地半九郎の二人きりであった。
 この時お絃の働きは素晴らしいもので、あとまで皆男だとばかり思っていたそうである。広い邸内を、唯ひとり血刀《ちがたな》を下げて相手を求めて歩き廻っていたところは、天晴《あっぱ》れな若武者ぶりだったとある。もっとも、がんどう頭巾というやつ、あれをスッポリかぶって眼だけ出していた。鉄火《てっか》な姐御の知らずのだけに、そっくり男に見えたに相違ない。
 その夜、源助町乱闘の注進を受けた大岡様は、直ちに金山寺屋の音松を呼んで何事か含《ふく》め、至急に黒門町の壁辰の許へ走らせた。表向《おもてむ》きは、この喬之助召し捕りを壁辰に命じたのである。壁辰としては、喬之助に繩を打つ時は自分が打つという約束がある。唯ひとり、早速|身拵《みごしら》えして源助町へ走った。その、壁辰が家を出ようとする時である。成らぬ恋に悶《もだ》えていたお妙は、いよいよ愛する喬之助に最後の時が来たことを知って、
「お父つぁん! お約束です。今度こそはあたしも止めませんから、立派に喬さまを繩にして下さいね」
 悲叫《ひきょう》とともに、お妙は自害《じがい》して散ったのだった。壁辰は娘の介抱《かいほう》もしたいが、刻は移る。そうしてはいられない。待っていた音松も、泪《なみだ》をかくして急《せ》き立てる。ついにうしろ髪を引かれる思いで源助町へ駈けつけ、騒ぎの真ん中へ飛び込んで、単身《たんしん》喬之助を縛したのだが――いよいよ大岡様の前へ引き出してみると、それは茨右近だったのである。壁辰はわざと右近を捕《と》って、死んだ娘の心を察して間違いに事寄《ことよ》せ喬之助を逃がしたのだった。その喬之助は、音松と魚心堂の計らいで、源助町の乱闘の場から直ちに、呼ばれて来ていた妻の園絵とともに東海道を京へ落ちて行く。出発しようとすると、音松が呼びとめてさり気《げ》なく言った。
「お妙さんからよろしく」
 お妙の死は知らせなかった。喬之助はニッコリ礼を返して妻の手を取って西へ急ぐ。早朝、忠相は非公式に右近を審《しら》べて、伊勢の名家《めいか》の出《で》と知り、山田奉行当時の友人の息《むすこ》ではあり、且つ人違いで当の喬之助ではないので、お絃とともに許してやる。凡ては忠相が一人で飲み込んで全事件を揉《も》み消したのだった。二人は、忠相の情で姿を変え、数刻《すうこく》遅《おく》れて、同じ東海道を伊勢《いせ》へと発足《ほっそく》する。間もなく、喬之助と園絵、右近とお絃、二組の夫婦は、よく似た二人の良人を中に、過去の一切を笑い話として賑やかな旅をつづけて行く。品川のはずれまで魚心堂が見送りに出て、幸先《さいさき》を祝って四人のうしろから扇子の風を送った……四人旅、悲しく死んだお妙の泪のような日照《ひで》り雨《あめ》に濡《ぬ》れて……。



底本:「カラー版国民の文学 10 林不忘」河出書房新社
   1968(昭和43)年1月25日初版
※「観化流《かんげりゅう》/観化流《かんかりゅう》」、「萠黄《もえぎ》/萌黄《もえぎ》」の混在は底本のママです。
※入力底本の「散らし張《ば》りにした屏風《ひょうぶ》」は、校正に用いた再版では、「散らし張《ば》りにした屏風《びょうぶ》」とあらためられています。
入力:kazuishi
校正:門田裕志、小林繁雄
2008年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全31ページ中31ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング