、ぱッと燃え上っちまえ!」
 人にまぎれて、そのワイワイいうさわぎを分けて喬之助と右近は、本郷を出はずれた。
 一すじ、頭上に、天《あま》の河が白かった。

      六

 本郷へ斬込みに行った茨右近と喬之助の帰りが晩《おそ》い。知らずのお絃は、気になってたまらなかった。
「どうしたんだろうねえ。あたしもこれから、一ッ走り行ってみようかしら」
 こう……神田帯屋小路、油障子に筆太に書かれた喧嘩渡世の四字、茨右近の喧嘩屋である。
 ふかしていた長煙管《ながぎせる》をガラリ抛《ほう》り出して、お絃がブラリと起ち上った時、
「御めん下さいまし……」
 あわただしく表の戸があいて、転がるように跳び込んで来た若い女――息をはずませて、ピシャリ! はいって来た戸を締め切りながら、お妙は、お絃を見上げた。
「ちょっとの間、おかくまい下さいまし。お願いでございます。悪ものに追われまして――」
「何だい、お前さんは」
 お絃は、思わず怖ろしい顔になっていた。
「この頃よく家ん前を迂路《うろ》ついてる女《ひと》じゃないか。どうしたっていうのさ……」
「はい――」
「はいではわからないじゃないの。悪ものに追っかけられたって、その悪ものはどこにいるのさ」
「いえ、あの、ちょうどそこまで参りますと――」
 気も顛倒《てんとう》しているらしく、おどおどしているお妙に、知らずのお絃は、つづけさまに舌打ちをした。
「チッ! 何だろうねエまア焦《じ》れったい。あたしゃ気が短い性《たち》でね、ハキハキおしよ。お前さん、ちょうどそこまで参りますとッて、毎日毎晩、やたらにちょうどそこまで参ってるようじゃないか。いったいどこなの家《うち》は?」
 お絃姐御にポンポンやられて、お妙は一層オロオロしながら、
「はい。わたくしは下谷の黒門町の……」
 言いかけた拍子に、ガラリ格子をあけて、頬かむりの顔を差し入れたのは、村井長庵の一の子分――一の子分二の子分といっても、こいつ一人きりだが、とにかく戸塚の三次である。
 藍微塵か何かに唐棧《とうざん》の半纏《はんてん》を引っかけて、鼻のさきに手ぬぐいを結んでいる。あまり好い人相ではない。
「今晩は」
 今夜はいやに妙な人間が飛びこんでくる晩だと思いながら、相手がばかに慣れなれしいから、お絃も、何か喧嘩出入りのことであろう。それなら、喧嘩渡世であってみれば大事なお客さまだと、にっこりして、
「いらっしゃい。喧嘩? うちの人は居ませんよ」
 戸塚の三次は、何も言わずにズイとはいりこんで、パラリ、手拭を取りながら、そいつを肩《かた》へ載《の》っけて、じろりとお妙を見た。
 ちょいと凄味《すごみ》を見せようというつもりらしい。勝手に上《あが》り框《がまち》へ腰を下ろして、精《せい》ぜい苦味走って控えながら、
「仁儀てえところだが、まま御めんなせえよ――ところで、姐御、れこ[#「れこ」に傍点]は居ねエッてったね?」
 三次は、拇指《おやゆび》を出して見せた。変なやつだと思いながら、お絃がヒョイとお妙を見ると、悪者と言ったのは此男《これ》のことなのだろうとすぐ気がついたほど、お妙は、真青になって、木の葉が風に吹かれるようにふるえているのだ。
 知らずのお絃は、素早く客の正体を掴《つか》んで一時に強く出た。
「うちの人はいないけど、お前さんなんかに舐《な》められアしないよ。何の用だい」
「何の用? テッ! 何の用もかんの用もあるけえ」お絃のかげに隠れるように、土間の隅に小さくなっているお妙へ顎《あご》をしゃくって、「これア何家《どこ》の娘だ、何家の。え?」
 弱いほうに味方するこころ、お妙のために口をきいてやろうという気がすわって、知らずのお絃は、ソロソロ性得《もちまえ》の鉄火肌《てっかはだ》を見せ出した。上りくちにしゃがんで、膝に頬杖をつきながら、切れの長い眼に険《けん》を持たせて、ジーッ! 三次を見つめた。
「どこの娘? どこの娘だっていいじゃないか。知りあいの家の娘さんさ。大きにお世話だよ。お前こそ、どこの人だい。江戸じゃアあんまり見かけない鬼瓦《おにがわら》だねえ」
「何を吐《ぬ》かしゃアがる。知りえいの家の娘もねえものだ。これアおいらの妹、おいらアこれのお兄様《あにいさま》なんだ。いいか、わかったか。わかったら、つれて行くぞ。文句はあるめえナ」
「飛んでもない!」お妙が、お絃のうしろから、恐怖におののく声で、「兄だの、妹だのと、みんなうそでございます。わたくし、そんな方にお眼に掛ったこともございません」
「ソレソレ、それがお前の病《やまい》というものだ」三次は、ちょっと優しい眼になって、お妙のほうへ擦り寄りそうにしながら、「アア情ねえ。なさけねえ。いくら狂っているからって、現在てめえの兄貴ともあろうものを見忘れるなんて――」
 いきなり三次は、手を伸ばしてお妙を引き寄せようとした。
「サ、帰《けえ》るんだ。帰るんだ。な、父《ちゃん》もおふくろも待ってらあ。ヨ、おいらといっしょに帰ろうじゃねエか」
「まア! 何をいうのでしょう」お妙は、呆れ返って口もきけないといったようすだ。「わたしがそこまで来かかると、この人が横あいから飛び出して来て、へんなことを言ってわたしを掴まえそうにしますから、びっくり逃げ出して、つい此家《こちら》さまへ駈けこんだのでございます。すっかり兄妹ということにあなたさまのまえをつくろって、おびき出そうなんて、ほんとに図々しいにもほどがあります。」
「おウ、今もいう通り、これアおいらの妹で、ちっとばかり気が狂《ふ》れてるんだ。この先の伯父貴の家へ行こうと、そこまで来るてえと、やにわに突っ走りやがってここへ飛び込んだんだが、つれて帰るぜ」
 三次は、そうお絃に言いながら、起ち上っていた。
「お待ちよ。そんな古い手は、よそじゃア知らないけれど、この神田じゃアきかないんだよ。あたしがこうやってにこにこ笑っているうちに、お前さん、とっとと帰ったほうが利口《りこう》のようだね。出直しておいでよ、顔でも洗ってサ」
「ナナ何だ?」ガラリと調子を変えた三次だ。「出直せだと? 面《つら》洗って出直せだと。ヤイヤイこのおれを誰だと思う」
 相手が女と侮《あなど》ってか、人もあろうに、今評判喧嘩渡世の大姐御、御意見無用いのち不知の知らずのお絃ちゃんにたんか[#「たんか」に傍点]を切ろうというのだから、さてはこの戸塚の三公、神田へ来てお絃の顔を知らないところを見ると、こいつ、精々《せいぜい》長庵の下廻りをつとめるくらいが関の山で、大きなことをいっても、やくざ仲間では、どうやらモグリらしい。
 そこはやはり、貫禄というものは争えない。お絃は、クスクス笑い出していた。
「お前の名なんか、聞きたかないよ。お帰りったらお帰り」あっさりしたもので、犬でも追い払うような手つきをする。「サ、お帰りよ」
「戯《ふざ》けるなッ! 兄が妹をつれて行くに何の文句があるんでエ。帰《けえ》るには帰るが、妹をつれて帰るんだ。来いッ!」
 三次が、大声を揚げて呶鳴り散らしていると、おもての戸が開け放しになっていて、家内《なか》が見える。通りかかった人がふと覗《のぞ》き込んで、
「御めんなさい。何ですね、この夜ふけに大きな声をして」
 見ると、お絃は知らないが、お妙は、父壁辰の出入り先、下谷長者町の筆幸の店で度たび見かけて覚えがある。それに、しつこく自分をつけ廻して困らせられている筆幸の若旦那幸吉からも、いつか聞かされたことのある、麹町平河町とかのお町医、村井長庵という偉い先生――お妙は、娘ごころに長庵を偉い先生と思いこんでいる。飛んだえらい先生があったもので――その村井長庵先生だから、お妙は、これこそ地獄で仏というのだろう、跳び立つように駈け寄って、
「あ! 長庵先生ではございませんか。この人に追いかけられて、こちらへ逃げこんだのでございますが――」
「ほう、それはそれは、大変な御災難、あんたは下谷の壁辰さんの娘さんでしたね。いや、長庵が参ったからにはもう大丈夫。お送りしましょう」そして、こそこそ逃げ出そうとしている戸塚の三次へ、長庵、いい気もちそうに反《そ》っくり返って、「コレコレ、お前は何者か。不届きなやつめ! 早々退散いたしたほうが身のためであろうぞ」
 大層《たいそう》片《かた》づけておっしゃった。三次は大恐縮、ヘイコラ頭を掻いて出て行く。これがみんな、予《あらかじ》め仕組んだ芝居とは知らないから、お絃もそばから言葉添えをして頼んで、長庵が黒門町までお妙を送って行くことになり、まるで、娘を助けられた親のような口調で長庵が礼を言ってお妙とともにそとへ出ると、頭上に、一抹の銀河は高く白い――。
 喬之助の妻園絵を芝源助町の神保造酒の許へつれこめば、交換に、筆幸に油御用が下りるように取り計らってやろうという脇坂山城守のことば。筆幸のほうが成立すれば、謝礼はたんまり転がり込むのだから、長庵、いや、よろこんだの何の、はいはいの二つ返事でお引き受けして、山城守と固い約束を結んだものの、園絵は、築土八幡の家に引きこもったきり、決して外出することがないのだから、機会を狙っているうちに日が経《た》つばかりで、長庵やきもきしていたところへ、きょう戸塚の三次がブラリ訪ねて来て、長庵はこれに相談してみた。
 先方の剣術使いは、園絵の顔を知らないのだ。誰でもいいじゃないか。若い綺麗な女なら誰でも――と考えて来て、長庵の思い出したのが、筆屋の幸吉がメートルを上げている黒門町のお妙であった。

   首供養《くびくよう》

      一

 初秋の夜、頭上高く一抹の銀河は白い――。
 不思議な人影が、神田は帯屋小路の往来でブラブラ歩いている。
 丸太ン棒に細い枝が一本ついてるような奇妙な、影法師が。
 そいつがこの星明《ほしあか》りに浮かれ出して、フワフワと泳ぎ出したように、風に吹かれて深夜の街を散歩しているのだ。
 他《ほか》でもない……魚心堂先生である。
 詳《くわ》しく説明すると、その人影の幹《みき》とも謂うべき丸太ン棒のような部分が魚心堂先生、それにクッ着いている小枝のようなところは、先生が担《かつ》いでいらっしゃる釣竿《つりざお》である。
 というのは、わが魚心堂先生は、いつもこの釣竿を離したことがない。常住坐臥《じょうじゅうざが》、釣竿と一緒に起き、釣竿と一しょに寝ているのだ。
 それほど魚釣《つり》が好きなのかというと、勿論好きなことも好きなのだが、先生に言わせると、釣りは魚を得るのが目的ではなく、ひとつの澄心《ちょうしん》の修業だとある。
 つまり、魚心堂先生の釣りは、先生の哲学《てつがく》であり、禅《ぜん》であり、思索《しさく》であり、生活である――こういう喧《やか》ましい因《いわ》れから来て、魚心堂先生の名もある訳……。
 神田の真ん中に迂路《うろ》うろしていて、そう釣りの出来るはずもない。
 が、ただ先生は、いま言ったように釣竿をかついでノソノソしていれば気が済むのである。変り者……と言えば変り者に相違ない。一種の心学者、乞食のような生活と、王侯のような心を有《も》った巷《ちまた》の大先生であった。
 居所なども一定していないで、飽くまでルンペン性を発揮し、釣りをする池の傍に一夜を明かしたり、そうかと思うと、空家の押入れに一月も二月も泊ったりしている。
 今なら浮浪罪で挙げられるところだが――その上先生は、大きな樹に登って、その幹《みき》の股に陣どって二晩でも三晩でも眠っているのが常だったというから、この頃アメリカなどで流行《はや》る滞樹上競争は、この魚心堂先生が元祖である。
 伊勢の生れで、れっきとした武家出なのが、何か感ずるところあって――経歴はとにかく、扮装《なり》がまた嬉しい。
 つんつるてんの紺絣《こんがすり》の筒っぽに白木綿《しろもめん》の帯《おび》をグルグル巻きにして冷飯草履《ひやめしぞうり》、いま言ったように釣竿を肩にどこにでも出かける。
 この魚心堂先生が、いつかの晩、先生が悪戯をして喧嘩渡世の茨右近の頭へ釣針を引っかけて糸引き
前へ 次へ
全31ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング