と反対側の襖ぎわに並び立った六人である。銘《めい》めい柄《つか》を叩いて、一時に喚《わめ》いた。
「ナ、何奴《なにやつ》ッ!」
「神尾だ……ナ」と確かめて、「どこからはいった」
 感心したように訊《き》いたのは、家主の半九郎だ。バタバタバタ、廊下を転《ころ》げ去って行く侍女の跫音《あしおと》がしていた。
 源助町の丹ちゃんには、怖《こわ》いものがない。一歩前へでた。
「お前さんかえ、喬之助さんてエのア、大《てえ》した評判だぜ。何かえ、お城番士の首を十七、片ッ端から落して廻るんだってえじゃアねえか。止しな、よしな。もう三人首にしたんだから、悪いこたア言わねえ。ここらで負けて置きなってことよ。それがおめえの、身のためてエもんだぜ」
 縁日《えんにち》の植木でもひやかすようにしきりに、負けろまけろと言っている。
 すると、元番士神尾喬之助……ではない、紛《まぎ》らわしいが、これは、喬之助に化《ば》け澄《す》まして――ナニ、化けなくても、生地のまんまで喬之助ソックリなんだが、その上、斬込みの時の着付けまで寸分同じな、神田は帯屋小路、今評判の喧嘩渡世人、茨右近先生だ。ニッコリ笑って、呆気《あっけ》に取られている六人へ、不思議な、呪文《じゅもん》みたいな文句《もんく》を唱《とな》えはじめた。
「アハハハ、逆《さか》さ屏風とは驚いたろう。裏の坊主が屏風に上手に坊主の絵を描《か》いた。これを早口にいってみろ。俺が今いう。いいか最後の上手に坊主の絵を描いたッ……その描《か》いたッ、で一本いくぞッ!」

      三

 晩春《ばんしゅん》の夜、三|刻《こく》の静寂《せいじゃく》を破《やぶ》って、突《とつ》! こぶ寺うらに起る剣々相摩《けんけんそうま》のひびきだ。
 神尾喬之助と茨右近は、知らずのお絃や園絵までが間違えるほど、似ていることは似ているのだが、違うところは違う。どこがどう違うかと言えば、第一、声の調子が少し違う。それから、刀法《とうほう》……虚心流と観化流。
 虚心流は神尾喬之助。
 観化流は茨右近。
 つるぎの使い方で知れる。喬之助の虚心流は、ジワジワと徐々《じょじょ》に動き、右近の観化流は[#「観化流は」は底本では「観化法は」]、静中観物化《せいちゅうかんぶっか》、しずかなること林のごとき中から、やにわに激発《げきはつ》して鉄を断《た》ち、岩を砕《くだ》くのである。いずれを一二とも謂いがたい、硬剣《こうけん》豪剣《ごうけん》の双手だが。
 今。
 この横地半九郎の屋敷に、夜宴《やえん》の最中、いつの間にかはいりこんで屏風のかげに潜《ひそ》んでいた神尾喬之助、妙ないい方だが……この神尾喬之助は、神尾喬之助ではなく、正しく茨右近だ。その声、態度、何よりも、その静中にあって四囲の物化を観《み》、瞬転《しゅんてん》、突起発動《とっきはつどう》せんとする剣捌《けんさば》きで知れるのである。
 が、敵に、そんな影武者《かげむしゃ》があろうとは夢にも知らない六人だ。神尾喬之助とばかり思いこんでいる。六対一、衆よく寡《か》を制す。一度に掛って斬り伏せてしまえッ! と、初剣は春藤幾久馬、味方に機を与える心算《つもり》の空気合《からきあい》だ。エイッ! 抜く。白閃《びゃくせん》、春灯《しゅんてい》を裂《さ》いて右近の顔前、三寸のところに躍った。
 秒間、紙を入れない。
 丁度、
「うらの坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いたッ」
 ……の、「描いたッ!」が終った一|拍子《びょうし》、倒れ伏さった屏風に片足かけた右近。
「約束だッ! 参《まい》るッ!」
 長刃、低く横ざまに刷《は》いて来て、さながら鋼白色《こうはくしょく》の大扇《たいせん》、末広形《すえひろがた》の板のごとくに、右近の手に一過した。
 一撫で撫でたのが、余りのスピードで、震幅《しんぷく》だけの平面のように見えたのだ。
 跳び上った春藤幾久馬をはじめ、一同ダダダッ! と後へに退って、剣芒《けんぼう》を揃えて一団に集まる。
 誰も、斬られたものはないはず。
 だが、不思議! 右近の剣身《けんしん》に、スーッと一筋。血糊が走っている……。
 右近は、こみ上げてくる笑いを、冷々《れいれい》と吐き出していた。
「自分の胴が真ッ二つになってるのを、知らずにいりゃア世話あねえや」
 あッ! と一同のうしろに当って、急に呻《うめ》き声がしたので、ふり返って見た。
 松原源兵衛である。かれは後部にいたのだ。それが、前の者が誰もかすり傷一つ負わないのに、どうして源兵衛が今の一剣でやられたのだろう。観化流、鎧通《よろいどう》しの一手、鎧の隙間《すきま》を通して、内容《なか》の身体を斬り捌《さば》くという、あれだ。源兵衛は、うム! おめくと同時に、游《およ》ぐように前面へのめってバッタリ、右近の言った通り、胴体《どうたい》が二つに開いて……。
「四番首!」
 腹から爆笑をゆすり上げている右近へ、遊佐剛七郎の伸剣《しんけん》が降り下った。掻いくぐった右近、床の間の凹《くぼ》みに駈《か》け上って、ここに初めて、豪剣を正眼に構える――鋼鉄に似た血のにおいで咽返《むせかえ》りそうな室内に、五人の剣陣が、床の間の前に半月形《はんげつがた》に展開した。燭台《しょくだい》の灯《ひ》が鋩子先《ぼうしさき》に、チララチララと花の様に咲いて……。

      四

 何を思ったか、茨右近の顔が、急に引き締まって見えた。もう笑ってはいない。かれは、身内に沸き立った殺気を感じて残りの五人を一撃に斃《たお》してやろう――と俄かに真剣になったのだ。
 なにをするか……と、見ていると、ピタリ肩落しにつけていた大刀を口にくわえた右近、スッと背伸《せの》びをして、帯を締め直し出した。五つの剣輪《けんりん》の中である。不敵! と、焦立《いらだ》った鏡丹波が、無形一刀の秘精《ひせい》、釘打《くぎう》ちの突き、六尺離れたところから刀を突き出して、斬ッ尖で釘を打ち込むという、これが源助町道場の大変な味噌《みそ》だったもので、また、丹波の最も得意とするところ……一気に来た。
 と、予想していたかのごとく、右近は、くわえていた刀を口から離す。その、落ちるところを空に引ッ掴んで、チャリイン! 丹波の突きを下から弾《は》ね上げながら、即《そく》、豹《ひょう》のように躍って横地半九郎へ襲い掛った。
「うむ! こいつア出来る」
 交《かわ》された丹ちゃん、にやにやして感服した。
 これで気がついたように、今まで黙りこくっていた五人の間に、一時に騒然《そうぜん》と声が起った。
「なるほど、出来る」
 遊佐剛七郎が、呻《うめ》くように繰り返した。出来る訳で、相手は喧嘩屋の先生である。
「部屋の中は、損だ。庭へ! 庭へ!」
「多勢に限る。誰か源助町へ呼びに行け」
「そうだ、先生を引っぱって来い」
「いや、先生には及ばぬ。三|羽烏《ばがらす》の一人で沢山だ」
 言う間も、右近を囲んで、ジリリ、ジリリ、詰め寄っているのだが、この源助町の三羽烏というのは、無形一刀流の大先生、神保造酒の直下に、
 大矢内修理《おおやうちしゅり》。
 比企《ひき》一|隆斎《りゅうさい》。
 天童利根太郎《てんどうとねたろう》。
 この三人を源助町の三羽烏と唱えたもので、上には上がある。きょう瘤寺うらへ出張って来ている遊佐剛七郎、春藤幾久馬、鏡丹波の三人なんか、強いとは言っても、この三羽烏から見れば、まるで赤子同然なので……。
 早くも持て余し出したのか、このうち一人を援兵《えんぺい》に呼んで来いというのだ。
 右近は、虚無的《きょむてき》な蒼い顔に筋ひとつ動かさず、床の間を背に、生えたように立っている。半九郎が大声に仲間《ちゅうげん》を呼んで、雨戸を開けさせたので、そこから庭へ誘《おび》き出そうとするのだが、右近は、五人に一人、広場へ出ては不利と見て、誘《さそ》いに乗ろうとはしない。
 この時すでに、あとを任《まか》せた鏡丹波は、芝源助町をさして横地の屋敷を走り出ていた。
 が、それまで庭の繁みに潜んで、芝居の舞台のように、開け放されて灯の明るい座敷に剣の光るのを見ていた、ひとつの黒い影が、吸われるようにスタスタと、かれのあとを尾《つ》け出したのを、丹波は、急いでいて気がつかなかった。
 黒い影……それは、女性《にょしょう》であった。
 茨右近とともに斬込みに来て、そとで様子を窺《うかが》っていた知らずのお絃である。ピタピタピタと草履を鳴らして、丹波を追って行ったが、途中から向きを変えて神田の帯屋小路へ。
 先方に援軍が来るなら、こっちにも援軍が必要だ。そうだ、自宅《うち》の喧嘩屋にゴロゴロしている神尾さんと、それからあの、いつかの晩のヒョンな髪引きが縁になって、腕貸しの約束をして下すった、辻説法の釣魚狂《つりきちが》い、無宿《むしゅく》の心学者《しんがくしゃ》魚心堂先生《ぎょしんどうせんせい》にお越しを願おう――知らずのお絃、白ちりめんの蹴出《けだ》しが闇黒《やみ》におよいで、尻っぽに火のついた放れ馬のよう、それこそ、足もと知らずにスッ飛んで行く。
「いや、それは。押し出してブッタ斬れと言われれば、ブッタ斬りもしようが――」
 造酒《みき》は、こう言いさして、ジロリと客を見た。
 ちょうどそのとき。
 それは源助町、無形一刀流道場の剣主、神保造酒の奥座敷である。
「有情無形《うじょうむぎょう》」と大書した横額《よこがく》の下に、大身の客のまえをも憚《はばか》らず、厚い褥《しとね》にドッカリあぐらをかいている、傲岸不遜《ごうがんふそん》、大兵《だいひょう》の人物、これが源助町乱暴者の隊長とでもいうべき神保造酒先生で、年の頃は五十あまり、眉と眉の間に、一線、刻んだような深い傷のあるのが、たださえあんまり柔和《にゅうわ》でない先生の顔を、ことごとく険悪《けんあく》に見せている。
「しかし、」と造酒は語をつないで、「探し出すのは、わしらが役目ではないでの。それには、八丁堀もあれば、お手前の手もとにも、人数が揃っておろうと思う。で、どこそこにその喬之助がおると確かにわかれば、当方から出向いて首にする……それは、まア、その時の相談じゃが――」
 客の、御書院番頭脇坂山城守が、せき込んで、何か言おうとしたとき百余の門弟が寝泊《ねとま》りしている道場の方に当って、急にガヤガヤと人声が沸《わ》いた。

      五

 頼みに来たのだ。
 八丁堀たのむに足らず、家臣を督励《とくれい》しても捗《はか》ばかしくない。このうえは、剣門《けんもん》に縋《すが》って、喬之助を見つけ次第、叩ッ斬って首にして貰い、それを証拠に、改めて許しを乞うて自家の安泰を計ろうという、山城守の肚《はら》だ。
 夜陰、ひとりひそかにこの源助町の道場を叩いて、西丸《にしまる》お控《ひか》え役《やく》の司《つかさ》、今で言えば文書課長に当る身が、羽振《はぶ》りがいいといったところで、要するに巷《ちまた》の一剣術使い、神保造酒|風情《ふぜい》に、背に腹は換えられない、ペコペコでもないが、この通り、さっきからかなり頭を下げてお願い申すを繰り返しているんだが……。
 だいたいこの神保先生は、幕府の役人がいばりくさるのを、ふだんから心憎く思っている。ことに今夜、駕《が》を抂《ま》げたぞと言わんばかりに、こうしてやって来たのが、今いった政府の文書課長。自分は浪人言わば失業者の大将みたいなものだから、はじめッから少々|頭《つむじ》が曲《まが》っている。もっとも、人を斬ったり首を落したりする物騒なことは、三度の飯より好きで、三十年来そんな事ばかりやって来て、それがまた今日あるゆえんの神保造酒、もとより嫌いな話ではない。ほんとを言えば、早速引き請けちまいたいんだが、それでは貫目が下がるとでも思っているのか、すこし焦《じ》らしてやれ――意地悪も手つだって、すったもんだ、なかなか諾《うん》と言わないから、山城守は引っ込みがつかないで往生している。
 もともと職権をかさ[#「かさ」に傍点]に命じ得る仕事でもなければ、相手でもない。が、こうして
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