まくび》を想像して、苦《にが》い顔になった。たかが神尾一人ではないか、捜索隊《そうさくたい》は一たい何をしている! が、それにしても、あの優男《やさおとこ》の喬之助めが、かかる剣腕の所有者であるとは知らなかった。おのれッ! 一度わが目前《まえ》に現われてみよ……!
昂奮した山城守が、こう心中に怒声を揚げた時、その心語《しんご》に応ずるかのように、眼前に人影が立った。ぎょッとして顔を上げると、気に入りの小姓《こしょう》一|弥《や》だ。いつの間にか、庭を横ぎって来ていたのだ。長者町の筆屋幸兵衛から、息子幸吉が使いに来て、何やらすぐお眼に掛けるようにと、つかい物を置いて行ったという。
「そんなにせんでも好《え》えに。気の毒じゃナ」山城守は、機嫌を直した。「して、幸吉はもう帰ったのだな。その品物はどこにある」
「御書院に持参致してござりまする」
「うム。すぐ見る」
先に立って縁から上った山城守は、ずッと書院へ通って、足で座蒲団を直して坐った。その座前《まえ》に、こんもりした萌黄《もえぎ》の風呂敷包が、恭しく供えてあるのだ。
左手を懐中《ふところ》に、グッと反《そ》り気味に右手を伸ばした山城守が、パラリ、パラリ、前後左右に撥《は》ねるように風呂敷を解いてゆくと、箱が出て来た。木の箱だ。蓋《ふた》がしてあった。軽く蓋を持上げて内容《なか》を一|瞥《べつ》した。と! ガッパと蓋を叩き置いて、
「むッ!」
おめい[#「おめい」に傍点]たのだ。同時に、
「筆屋ッ! 筆屋の者を呼べッ! コ、これは、猪股《いのまた》――ッ!」
起ちかけた。座蒲団が辷《すべ》って、箱を倒した。ゴロゴロと転がり出たのは、かッと眼を見ひらいて散髪《ちりがみ》をくわえた人間の首だ。
またもや御書院番士の一人、猪股小膳である。三番首だ。
「ウウウム……」
片手をかざした山城守は、どどどッと部屋隅へよろめき後退《さが》った。ドウン! 襖にぶつかって、襖が倒れた。一弥は、鞠《まり》のように円くなって、小刻みの足を廊下に飛ばせて御用部屋へ走っていた。
八
江戸の辻々に、瓦版《かわらばん》の読売りが飛んだ。
一番首、二番首、三番首……お書役の首が、片ッ端から落ちて行く。
役人、会社員などのサラリーマンが首になるという、その首なる用語の起源は、遠くこの時に発しているのだ――と、江都耳寄草《こうとみみよりぐさ》なる写本にある。これはナンセンス。
だが、首は困る。
首になりたくないのは、今も昔も同じことで、これは断然ナンセンスではない。真剣だ。自衛だ。命懸けだ。
共同戦線《きょうどうせんせん》を張《は》る。
荒木陽一郎、横地半九郎、松原源兵衛の三番士、日中は大したことはあるまいが、夜ひとりでいるのは剣呑《けんのん》だというので、一晩ずつ三人の家を順に提供し合って、三人寄れば文殊《もんじゅ》の智力《ちりょく》、鼎坐《ていざ》して夜を徹することにした。
しかし、剛剣の名あった大迫玄蕃、浅香慶之助、猪股小膳の諸士を、ああも鮮《あざや》かに遣《や》ッつけた神尾である。三人では、心細い。援兵《えんぺい》を求めて大一座を作り、ボンヤリ坐ってもいられないから、酒にする。今夜は、四谷瘤寺裏《よつやこぶでらうら》の横地半九郎の屋敷が当番だ。主人の半九郎をはじめ、荒木陽一郎、松原源兵衛のふたり、被害妄念《ひがいもうねん》に怯《おび》やかされているのが、宵の口から集って、チビリ、チビリ、さかずきのやり取りをしている。
早くから雨戸を下ろして、室内には燭台を連ね、昼よりも明るい。銘めい刀を引きつけて、悲壮なる面《おも》もちは、まるで出陣の宴だ。これが毎晩のことだから、さぞ神経《しんけい》が疲れたことだろうが、そのうちに、頼んであった助軍《じょぐん》が到着する。遊佐剛《ゆさごう》七|郎《ろう》、春藤幾久馬《しゅんどうきくま》、鏡丹波《かがみたんば》、三人の浪人である。
その頃。
芝の源助町に道場をひらいて荒剣《こうけん》一|風《ぷう》、江府《こうふ》の剣界を断然リードして、その腕《うで》、その胆《たん》、ともに無人の境を行くの概あった先生に、神保造酒《じんぼうみき》という暴れ者があった。神保造酒……無形《むぎょう》一|刀流《とうりゅう》の正伝《しょうでん》。
四百|万億《まんおく》阿僧祇《あそうぎ》の世界《せかい》なる六|趣《しゅ》四|生《しょう》の衆生《しゅうじょう》、有形《うぎょう》のもの、無形《むぎょう》のもの――有形無形《うぎょうむぎょう》のうち、慾界色界《よくかいしきかい》の有情《うじょう》は有形《うぎょう》にして、無慾無色界《むよくむしきかい》の有情《うじょう》は無形《むぎょう》なり……なンかと大分むずかしい文句だが、この法華経随喜功徳品《ほけきょうずいきくどくぼん》の一|節《せつ》から胎発《たいはつ》した無形《むぎょう》一|刀流《とうりゅう》だ。
人間の慾のなかで、一番大きくかつ一番|根強《ねづよ》い慾、すなわち生命に対する執着《しゅうちゃく》を去って、無形に帰れと教える。つまり、はじめから命の要《い》らない流儀である。生きようとは思わないのだから、怖《こわ》いものはない。剣を把《と》れば死ぬ気だから、じぶんを衛《まも》ろうとしない。攻め一方の、じつに火焔《かえん》のごとく激しい剣法であった。
こうして、日常すでにいのち[#「いのち」に傍点]を無視している連中だ。この、諸慾中の最大慾だけは、サラリ西の海へ流しても、他の慾は、別である。生命が要らないだけに、酒と女は大いに要る。じっさい、この二つ以外何ものもない、大悟徹底《たいごてってい》したあぶれ者が揃っていたものだ。
この源助町の道場、無形一刀流、神保造酒のところへ、用心棒を束にして貸してくれと申し込んだ。アイ来たとばかり、ゴロゴロしてるやつが毎晩出かけて来る。無料《ただ》で一晩中酒が呑めるんだから、こんなうまい話はない。今夜も、いま、遊佐剛七郎、春藤幾久馬、鏡丹波がやって来て、同勢六人、円くなって酒だ。
「いかに横地氏、これだけ集まっておれば、何も心配することはござるまい」
「イヤ、はなはだ意気地がないようで、お恥かしい次第じゃ。何分相手は魔に憑《つ》かれておるでナ、用心に越したことはないと神保先生にお願い申し、かくは諸君の御足労《ごそくろう》をわずらわした訳じゃ。ママ何はなくとも一|献《こん》……」
「ナアニ、神尾とやら申す青侍一匹、ウフフ拙者ひとりで沢山だ。みんな寝ちまえ、寝ちまえ! ついでに、酒も独りでひき請《う》けた」
「何とか、うまいことを吐《ぬ》かしおる」
「神尾のほうはとにかく、酒は任せるわけには行かんぞ」
「わッハッハ、振舞《ふるま》い酒となると、こやつ、眼の色を変えやがる」
崩れるような大笑いだ。この最中、気がついたのは荒木陽一郎だった。
何気なく眼が行ったのである。
隅に、短冊《たんざく》を散らし張《ば》りにした屏風《びょうぶ》[#ルビの「びょうぶ」は底本では「ひょうぶ」]が置いてある。ふと見ると、それが、何時の間にか逆《さか》さ屏風になっているのだ。
さかさ屏風……不吉《ふきつ》ッ!
「おッ! 誰か死ぬぞッ!」
かれは、叫んでいた。
生《い》きている死人《しにん》
一
荒木陽一郎、松原源兵衛、それに当家のあるじ横地半九郎の三御書院番士、及び、芝源助町の無形一刀流、神保造酒の道場から助剣に来ている三人の暴れ者、遊佐剛七郎、春藤幾久馬、鏡丹波……一座六人、ハッと申し合わせたように酒杯《さかずき》をひかえて、十二の眼が、いっせいに隅の屏風をかえり見た。
俗に瘤寺《こぶでら》といった。四谷自証院の裏手、横地半九郎方の奥ざしきだ。
ガヤガヤしてたやつがぴったり止《と》まる。見る――なるほど、銀地《ぎんじ》に短冊を散らし貼《ば》りにした屏風が、死人の枕頭《ちんとう》を囲むように、逆さに置いてあるのだ。
さかさ屏風……不吉! は言うまでもない。が、見つけた荒木陽一郎が、
「おッ! 誰か死ぬぞッ!」
と叫んだのは、些《ち》と大袈裟《おおげさ》だったので、真っ先に笑い出したのは、通称《つうしょう》源助町《げんすけちょう》の丹ちゃんこと鏡丹波だ。おさむらいにしてそんな通称があろうという、市井無頼《しせいぶらい》の徒と何ら選ぶところのない丹ちゃんである。服装《なり》だって見上げたもので、まだ薄ら寒いこの春宵《しゅんしょう》に、よごれ切った藍微塵《あいみじん》の浴衣《ゆかた》一まい、長い刀《やつ》を一本ブッこんで、髪なんかでたらめだ。クシャクシャに束《つか》ね上《あ》げている。
「わッはっは!」衝《つ》ッ掛るように笑って、「エオウ、誰か死ななきゃならねえなら、おいらが死んでやるから、みんな安心していねエ。だがヨ御同役、そ、そんな不景気な面をしてちゃア、酒が不味《まず》いや」
だが、首を狙《ねら》われる三番士の身になってみると、そう呑気にしてはいられない。
主人の横地半九郎が、真青な顔を陽一郎へ向けて、
「イヤ、これは、今夜の宿を引きうけながら、飛んだ失礼をつかまつった。折も折り、まことに縁起《えんぎ》でもない誤ち、何んとも拙者方家人《せっしゃかたかじん》の粗忽《そこつ》。ウウ荒木氏、松原氏、ママお気を悪くなされぬように……」
「お言葉で痛《いた》み入る」荒木陽一郎は、まだ、左手に引きつけた一刀を離さずに、「それは、マア、屏風の置き違えにはきまっておるが、場合が場合じゃテ、臆病《おくびょう》なようだが、ちょっとびっくり致した。大声《たいせい》を発して、大人気《おとなげ》なかった。アハハハハ」
松原源兵衛も、やっと蒼白い笑いをうかべたが、はてナ? と首を捻《ひね》って、
「しかし、今の先まで、屏風は、逆《さか》さになぞなっておらんようだったが……」
源助町助勢の長《ちょう》、遊佐剛七郎がヌックと起《た》ち上った。剛七郎|身長《みのたけ》六尺近く、有名なムッツリ屋、周防《すおう》の国は毛利左京亮《もうりさきょうのすけ》、府中《ふちゅう》五|万石《まんごく》に後足《あとあし》で砂をかけたという不忠[#「不忠」に傍点]の浪人――ナニ、変な洒落だ? とにかく、コイツ面倒臭いと思ったのだろう。
「直《なお》せばよいではないか」
ツカツカと屏風のほうへ行こうとする。半九郎が停めた。家主《あるじ》の責任というとこだ。
「あアいや。下女《げじょ》めの粗相《そそう》、呼んで直させまするで、そのままに、そのままに」
ポンポンポン! 手を叩く。
「コレヨ、誰ぞある――」
春藤幾久馬と丹ちゃんは、その間に、手酌《てじゃく》でせっせと傾《かたむ》けている。
二
侍女の一人が敷居ぎわに手を突いた。
「これ、屏風がさかさまになっておるではないか」半九郎は顎をしゃくって、「何という不注意だ。すぐ直しなさい」
「でも、旦那さま」婢《おんな》は不思議そうに、「わたくしは確かにちゃんと立てて置いたのでございますが」
「そうだ、そうだ」どうも余計な口をきくのは、いつも丹ちゃんのようで、「なア、おめえが悪いんじゃアねえ。屏風が勝手に……」
半九郎は、尚もキッとなって婢を睨《ね》めつけた。
「イヤお前の粗忽《そこつ》である。さっさと直しなさい」
ハイと口の中で答えた婢、六人の眼を集めて、部屋の隅の問題の屏風に手をかけた。女性が愕《おどろ》いた時の声は、今も昔も大概きまっている。絹を裂《さ》くように叫んで、退《の》け反《ぞ》った。
「あれ――イッ!」
同時に、ぱッ! 向う側から屏風が倒れて、ムックリ坐り直した一人の人物がある。
肩に継布《つぎぬの》の当った袷《あわせ》一枚に白木《しらき》の三|尺《じゃく》、そろばん絞《しぼ》りの紺手拭で頬かむりをして、大刀といっしょに両膝を抱き、何かを見物するように、ドッカリ腰を押しつけているのだ。侍とも無頼漢とも知れない、まことに異形な風俗、呑気な顔で六人を見わたして、ニコニコ笑った。
思わず、さッ!
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