である。喧嘩渡世という看板をあげているとおり、喧嘩なら、何でも買うのだ。何でも買う。直接売られた喧嘩は言わずもがな、他人の喧嘩でも、助太刀《すけだち》さえ頼まれれば、いつどこへでも飛びこんで行って、理窟《りくつ》のあるほうに味方をする。ところが、喧嘩の場合、たいがい弱いほうに理窟《りくつ》があるに相場《そうば》がきまっているから、そこでこの夫婦喧嘩師の茨右近と知らずのお絃は、いつも大勢を向うにまわして、チャンチャンバラバラの場数《ばかず》を踏《ふ》んで来たのだが!――かつて負けたという例《ためし》がない。
というのは、神尾喬之助に生きうつしの、まさるとも劣《おと》らぬ美青年の茨右近。その神尾喬之助が、虚心《きょしん》流無二の遣《つか》い手であるように、右近は、芸州浪人と名乗っているだけに、かの二見《ふたみ》ヶ|浦《うら》の片ほとりに発達しきたった、天馬《てんま》空《くう》をゆく独特の速剣《そくけん》、観化流《かんげりゅう》の大統《たいとう》をつたうる、当代|唯《ゆい》一の妙刀《みょうとう》であったからで。
静中観物化《せいちゅうぶっかをみる》――という論語のことばを採《と》ってもっ
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