むこうから、また声がする。若年寄お退《さが》り! というのだ。
これで、そろそろ頭を上げかけていた御書院番の連中は、いそいでまたもや畳を舐《な》めんばかりに這《は》いつくばる。そこへ、いま言った若年寄であろう。五、六人の大官が、綺羅星《きらぼし》を集《かた》めたように美々しい一団となって通りかかった。加納遠江守はすぐわかる。眼じりに有名な黒字《ほくろ》がある。泣きほくろだと言うので泣き加納の名があるが、本人はこの綽名《あだな》と正反対に始終にこにこ[#「にこにこ」に傍点]している。その泣き加納と何かささやきながら、よろけるようにして往くのが米倉丹後守《よねくらたんごのかみ》である。足が悪いのである。すぐ後から安藤|対馬守《つしまのかみ》が、頭脳のなかで謡曲《うたい》でも復習《さら》えているように、黙々と、しかし朗かな顔付きでやって来る。太田若狭守が大きく手を振って、足早に追いついた。そして低声《こごえ》で何か言うと、対馬守がほほえんでしきりに合点《がってん》合点をしている。ひとり遅れて、平淡路守が超然と歩いて来る。山野に遊んで四方《よも》の景色を賞美していると言ったような、妙に俗塵離
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