書院番組与頭、戸部近江之介を叩ッ斬《き》って、その生首を御番部屋へ投げ込んで逐電して以来、今まで土中に潜《もぐ》ってでもいたか、頓《とん》と姿をくらましていた――神尾喬之助! ううむ、この日頃、きつい御|詮議《せんぎ》で、詳しい人相書が廻って来ているのだ。
 あの人相書とこの若造《わかぞう》!
 服装《なり》かたちこそ変っているが、おれの眼力《がんりき》にはずれはねえ。それに、それほどの美男が、いくら江戸は広くても、そうざらにあるはずはない。そうだ! この奴《やっこ》こそ、いま江戸中の御用の者を煙に巻いている神尾喬之助というお尋ね者に相違はねえのだ――! と、気が付いた途端《とたん》、一時ははっ! とした壁辰も、ふところ手のまま身構えていた身体をゆるめて、ちょいと、口尻《くちじり》に薄笑いを浮べた。
 野郎! 百年目だッ! この壁辰が、御用十手を呑んでることを、知って来たか、知らずに来たか――この、蟻《あり》一匹逃がさねえ見張りの真ん中へ、しかも、人もあろうに、黒門町の壁辰のところへ面《つら》ア出すとは、飛んで火に入る夏の虫てえやつで、いよいよこいつの運の尽《つ》きだ――壁辰は、黙《だ
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