ように、物ものしく垂れさがっている。現代《いま》でも、田舎などではどうかすると見かけることがあるが、悠長《ゆうちょう》な江戸時代には、こんなことをばかにやかましく言って、厳重に守ったものだ。
裏手はまた職人たちで押すな押すなだ。土間《どま》にずらり[#「ずらり」に傍点]と祝い酒の鏡を抜いて、柄杓《ひしゃく》が添えてある。煮締めの大皿、強飯《こわめし》のお櫃《はち》が並んでる。下戸《げこ》には餅だ。飲むは食うは大さわぎで、やがて銘々土産の折りをぶら下げて口々に大旦那の幸兵衛に挨拶しながら帰って行く。
広い台所に立って、一々応対をしている六十余りの禿茶瓶《はげちゃびん》が、その筆屋幸兵衛だ。首の廻りに茶色の絹を巻いて、今日だけは奥と台所をいったり来たり、一人で采配《さいはい》を揮《ふる》ってる。息子の幸吉は、三十近い、色の生《なま》っ白《ちろ》い優男《やさおとこ》である。父親《おやじ》の命令《いいつけ》を取り次いで、大勢の下女下男に雑用の下知を下しながら仔猫のように跳《と》び廻っていた。
「どうも若旦那のお酌は恐れ入りやす。いえもう、遠慮なく頂きやした――おや、これはこれは大旦那様、こ
前へ
次へ
全308ページ中36ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング