杉板挾

      一

 下谷長者町に、筆屋幸兵衛という、筆紙商《ふでかみしょう》の老舗《しにせ》がある。千代田城のお書役《かきやく》御書院番部屋に筆紙墨類を入れている、名代の大店《おおだな》だ。今度隣りに地所を買って建前《たてまえ》を急ぎ、このたび落成《らくせい》したので、壁一切を請負《うけお》った関係上、黒門町の壁辰も、二、三の弟子を連《つ》れて、きょうの棟上《むねあ》げに顔を出している。
 ちょうど七草《ななくさ》の日だ。
 これこそ日本晴れという天気であろう。紺いろの空に、鳶《とび》が一羽、悠《ゆう》々と輪をえがいて、気のせいか、道ゆく人の袂《たもと》をなぶる風にも、初春らしい陽《ひ》のうごきが見られる。女の廻礼は七日過ぎてからとなっている。町家の内儀《ないぎ》や娘らしいのがそれぞれに着飾って、萠黄《もえぎ》の風呂敷包などを首から下げた丁稚《でっち》を供に伴《つ》れて三々伍々町を歩いている。長閑《のどか》な景色だ。
 七草なずな、唐土《とうど》の鳥が――の唄に合わせて、とことん! とことん! と俎板《まないた》を叩く音が、吉例により、立ち並ぶ家々のなかから、節《ふし》面白く
前へ 次へ
全308ページ中34ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング