切腹、非ならば極刑《きょくけい》に処さなければならない。築土《つくど》八幡の家からは喬之助妻園絵をはじめ、弟の琴二郎まで召捕《めしと》られて審《しら》べを受けている。園絵の実家神田三河町の伊豆伍はもとより、その他喬之助が立ち廻るかも知れないと思われるところへは、大岡越前守の手で洩《も》れなく手配が届いている。人相書は全市の与力《よりき》と岡《おか》っ引《ぴ》きにいきわたり、別動隊として、近江之介を殺された上自分は閉門をうけて、切歯扼腕《せっしやくわん》に耐えない脇坂山城守の手から、種々雑多の小者に変装した家臣や出入りの者が江戸中に散らばってひそかに喬之助のあとを嗅《か》ぎ廻っている。
 七日は過ぎたが、危険の最中である。今までどこに潜《ひそ》んでいたのか、縞《しま》の着物に股引《ももひ》き腹掛《はらが》け、頭髪《あたま》も変えて、ちょいと前のめりに麻裏《あさうら》を突っかけて、歩こうかという、すっかり職人姿の舞台《いた》に付いているこの喬之助である。
 黒門町の家で壁辰を待って、すぱり、すぱりと煙草の輪《わ》を吹き上げている。
 大通りに、木遣《きや》りの声が流れて来た。

   人情
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