気で飛び込んで来たり、または遠国から仲間の添え状を持って思いがけない弟子入りが来たりするので、母の死んだあと、父のために一切の切り盛りをしている娘のお妙は、どんな人が留守にきても、一応上げて待たしておくようにと、ふだんから父の壁辰に命令《いいつ》けられているのである。それに、壁辰は御用も勤めている。十手を預かっていて、そのほうでは今江戸に鳴らしている大親分なのである。どんな事件で、何時《いつ》どんな人がやって来ないとも限らないから、壁辰が家を明けても、客はすべて、お妙が引き受けて上げて待たしておくことになっているのだ。だから今も、この美男の職人が土間に立って案内を乞《こ》うたとき、お妙は、いつものように前掛けで手を拭《ふ》きふき出て行ったのだが、その男のあまりな綺麗さには、お妙は、もうすこしで驚きの声をあげるところだった。何しに役者が来たのだろうと直《す》ぐ思った。いや、役者衆にも、あんなのはちょっとあるまい――お妙はいま台所に立って、ぽうっとしてそんなことを考えている。
 元日早々から、いまだに江戸全体は引っくり返るような騒動《そうどう》をしていた。何しろ、殿中の刃傷《にんじょう》で
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