釣りの出来るはずもない。
 が、ただ先生は、いま言ったように釣竿をかついでノソノソしていれば気が済むのである。変り者……と言えば変り者に相違ない。一種の心学者、乞食のような生活と、王侯のような心を有《も》った巷《ちまた》の大先生であった。
 居所なども一定していないで、飽くまでルンペン性を発揮し、釣りをする池の傍に一夜を明かしたり、そうかと思うと、空家の押入れに一月も二月も泊ったりしている。
 今なら浮浪罪で挙げられるところだが――その上先生は、大きな樹に登って、その幹《みき》の股に陣どって二晩でも三晩でも眠っているのが常だったというから、この頃アメリカなどで流行《はや》る滞樹上競争は、この魚心堂先生が元祖である。
 伊勢の生れで、れっきとした武家出なのが、何か感ずるところあって――経歴はとにかく、扮装《なり》がまた嬉しい。
 つんつるてんの紺絣《こんがすり》の筒っぽに白木綿《しろもめん》の帯《おび》をグルグル巻きにして冷飯草履《ひやめしぞうり》、いま言ったように釣竿を肩にどこにでも出かける。
 この魚心堂先生が、いつかの晩、先生が悪戯をして喧嘩渡世の茨右近の頭へ釣針を引っかけて糸引き
前へ 次へ
全308ページ中280ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング