たしか、壁辰父娘《かべたつおやこ》のはなしでは、金山寺屋の音松とかいったが、あの、七|草《くさ》の夜に、下谷の壁辰の家で、自分をこの右近と言いくるめて危いところを助けてくれた大兵の男の声……あの渋い声、あの時の津浪《つなみ》のような笑い声――そうだ。いつかも富士見の馬場へ現れて大岡殿が試乗に来るといって敵を払い、じぶんを助けてくれた……。
 今夜は、敵を逃がさぬように、それとなくこの屋敷を包囲していてくれたのではなかろうか。
 この、重ねがさねの好意あるしうちに、喬之助が、闇黒《やみ》の中で声のするほうへしきりに目礼を送っていると、騒動を聞き、乾児《こぶん》をまとめて駈けつけて来た金山寺屋の音松、大岡様に呼びつけられて、それとはなく言いつけられたように、
「怪我しちゃア、つまらねえ。逃げろ、にげろ!」
 まだやっている。
 戸外《そと》は大変な人集《ひとだか》りだ。もっとも、みんな火事と間ちがえているので、寝巻のまま飛び出して来たやつが、寒そうに胴《どう》ぶるいしながら、
「エオウ、吉イ、さっぱり煙が見えねえじゃねえか」
「そうよなア、こちとら気が短《みじけ》えんだ。どこでもいいから
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