櫺子窓《れんじまど》である。そこへ人の顔が現われたのだ。イヤ、正確には、現れたような気がしたのだ。それはまことに、穏《おだや》かでない。人の細君が入浴しているところを覗くんだから、まさに池田亀太郎氏の先祖で亀右衛門。気丈な園絵である。いそぎ腰へ手拭を廻し、両手で乳房をかくして蹲踞《しゃが》みながら、キッ! となって窓を振りあおいだのだが、心の迷いであったか、窓を通して夕陽《ゆうひ》の色が沈みつつあるばかり――人の顔なんか、ありはしない。
 アアよかった。早く出ましょう……起ち上った園絵だ。今度はハッキリ見たのだ。見るも見ないもない。そこの窓から、良人喬之助がじぶんを見下ろしているではないか!
「あッ! あなたッ!」叫《さけ》んだ園絵だ。「何でそんなところから――ただいま参りますッ!」
 瞬間である。ほんの一|刹那《せつな》、湯殿を跳び出しながらチラと見返ると、そこにはすでに喬之助の顔も誰の顔もなかったが、確かにこの双《そう》の眼《め》で見たのだから、園絵は、気も顛倒《てんとう》している。濡れたからだを碌々《ろくろく》拭きもせず、そのまま着物を引っかけて帯を廻し、近くの縁から庭下駄を突っ
前へ 次へ
全308ページ中158ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング