たようで、どう見ても、あんまりいい図じゃアないね」
 ムニャムニャと茨右近が妙な返答をするから、見ると、喧嘩屋の先生、いつの間にか地べたに寝ッころがって、いい気持ちそうに白河夜船の最中《さいちゅう》とある。
「まア呆《あき》れた……」
 呆れたとは言ったが、惚れぼれと寝顔を覗き込んだお絃、自分の半纏《はんてん》をスッポリ脱いで、掛けてやりながら、ふと気がつくと、家の中の灯《あかり》が消えて、あたりは真っくらだ。
「ちッ、厭《いや》になるねえ――ちょいとお前さん、お起きなさいったら。そんなところに寝て、風邪ひくじゃないか。しようがないねえ」
 ゆすぶり起そうとすると、右近の口がモゾモゾと動いて、
「これア寝言《ねごと》だぜ」断《ことわ》っている。「なアお絃、おめえもつくづく嬉しい気性だなあ。こうやって自分達は、野良犬みてえに軒《のき》の下に夜を明かしても、好いた同士の首尾《しゅび》を計ってやる。これは善根《ぜんこん》というものだ」
「蓮根《れんこん》だか[#「蓮根《れんこん》だか」は底本では「蓮根《れんこん》だが」]何だか知らないけど、うれしい気性はお前さんさ。全体このことは、お前さんが言い出したんじゃないか」
「いンや、お前《めえ》が言い出したのだ」
 互に善根をゆずり合っている。
「あああア」お絃は欠伸《あくび》をして、「だけど蓮根てものは、寒いもんだねえ」
「蓮根ではない。善根である」
「あい。ソノ根《こん》さ」
 無駄口をきいているうちに、どっちが先ともなく眠りこけて、並んで膝を抱いたまま、壁の根に背をあずけてコクリコクリやっていると――何刻《なんどき》経ったか、ふと、しきりに頭髪《あたま》にさわるものがあるので、右近は夢中で手をやって払い退《の》けた。
 糸《いと》のようなものだ。
 払っても払っても垂れ下ってくるのだ。が、こっちは寝ぼけている。色いろに頭を動かして避《よ》けていると、やがて右近、ぎゅうと髷《まげ》の根を掴んで引き上げられるような気がして、眼がさめた。
 何か、かみの毛に引っかかっている。釣針《つりばり》らしいのだ。糸の先につり針がついて、そいつがどこからか伸びて来て、右近の結髪《かみ》に掛り、グウッと上へ持ち上げようとしている……まさに何者かが、喧嘩師茨右近先生を釣り上げようという魂胆《こんたん》!
 そばのお絃は、それこそ何も「知らず」に眠っていた。
 ハッキリ眼がさめると同時に、悪戯《いたずら》か、害心《がいしん》か、この夜ふけに、そも何やつのしわざ? と、ぷッ! 一時に怒りを発した茨右近だ。頭上にかざした手へ釣糸を捲《ま》き手繰《たぐ》って、パアッ! 起ち上った。
「誰だッ! 出て来いッ!」
 叫《さけ》ぶ。その声で眼をさましたお絃が、
「火事かい……あら厭《いや》だ。何をお前さん、ひとりで威張《いば》っているの」
 迂路《うろ》うろそこらを見廻したが、
「あ! 何だい、あれは――?」
 指さした。そこに、闇黒《やみ》の奥からノソリ、ノソリと近づいて来ている一人の人物。
 夜光を背にしてよくは見えないが、つんつるてんの紺飛白《こんがすり》に白い兵児《へこ》帯を太く巻いて、後世の英傑西郷先生の元祖みたいな風体《いでたち》だ。髪は、戦国風の太茶筌《ふとちゃせん》。釣竿を差し伸べて片手に魚籠《びく》を提《さ》げている。実もって異形《いぎょう》な大男なので。
「げッ! 何だ手前はッ!」
 頭の釣針を取ろうとするが、すっかり髪に絡みこんでいて容易に取れない。焦立《いらだ》った右近、タタタとあとへ下って、頭で糸を引いて男を引き寄せようとする。
「怒るな、怒るな」男が言った。太い、しずかな声だ。「ちょいと夜釣りと洒落《しゃれ》たのだ」
 が、右近は無言。両手を腰に[#「両手を腰に」は底本では「両手に腰を」]、グッと頭を反らして、かみの毛にひっ掛った糸でそのまま相手を引きずりよせようとした。
 ほがらかな男の笑いが、深夜の巷《まち》にひびいた。
「ウム、どうやら呑舟《どんしゅう》の大魚が掛ったようだぞ。こりゃ面白い。頭で綱引《つなび》きと来るか」
 自分も、竿を構《かま》えて、足を踏ん張る。あたまと手の綱引き……じゃアない、糸引きだ。両々相下《りょうりょうあいくだ》らない。見ていては面白いが、がっくり前へ寝た右近の髷《まげ》が、今にも脱けそうだ。どんなに痛いことだろう。つまらない我慢をしてゴッソリ丸坊主になったらどうしよう――と、お絃は一人で気を揉《も》んでいる。
 ひっ張り合いながら、会話になった。
「小僧ッ、痛くはないか」
「何をッ! 釣れるものなら、釣ってみろ」
「てエッ! 強情なッ! こうだッ」
 男は、力を罩《こ》めて竿を引く。うム! と踏みこたえた右近、大地から生《は》えたよう、磐石《ばんじゃく》の
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