りましても、はじめから益ないことでござりましょう」
「うむ。何故じゃ」
「はて、殿様と致しましたことが、お気づきになりませぬかな?」
「それはどういうわけじゃな。あの出奔《しゅっぽん》中の喬之助めが、弟の琴二郎に在所《ありか》を知らせる位なら、園絵はかれが妻じゃ。好《す》いたの好《す》かれたのという新妻じゃ。まず、弟よりも妻へ報《しら》せそうなものではないか」
「さ、そこが、でございます。元旦以来これほどきびしい御詮議の眼をかすめて、今まで影さへ見せませぬ程の強《したた》か者の喬之助でござりますから、末の末まで要心をとって、弟にだけはそっと知らせても、御|新造《しんぞう》の園絵さまには――殿様、女子は口の軽いもの、秘密の守れぬものとなっております。万が一、園絵様の口からふっ[#「ふっ」に傍点]と洩《も》れはせぬか、洩れはせぬまでも、園絵様の様子で感づかれはせぬかと、そこが、あの細心な喬之助のことでござります。園絵様と琴二郎様は同じく築土八幡の屋敷に一しょにおいでなさるのでござりまするが、何かの手づるで、弟の琴二郎様へだけ内密《ないみつ》に知らせて、園絵様には、まずまず、潜伏《せんぷく》の個所は耳に入れてないのではないかと、長庵め、愚考《ぐこう》いたしまするでござりまする」
賢《かしこ》そうに言っている。山城守は、一|応《おう》もっともというようにうなずいたのち、
「じゃが、琴二郎が知れば、あによめに話しそうなものじゃのう」
「そこがそれ、兄から固く止められておりますことで――」
「そうか。なるほどそうも考えられるのう」
「園絵様も琴二郎様も、お二人とも、もうおしらべがついて、お屋敷《やしき》へお下げになったのでござりますな」
「うむ。いくら詮議しても甲斐《かい》がないから、一応下げたのじゃ。下げておいて、それとなく厳重に眼をつけておる」
「それが一番の御|処置《しょち》でござります。では、わたくしめは琴二郎様のほうを受け持って、専心《せんしん》に眼を光らせますでござりますから、伊豆伍と筆屋のほうは、何分ともにどうぞよろしくおとり扱いを願いまする」
「ああそれは、さっき申した通り、充分に考えてはおくが、そう右から左と急には参らぬ」
何のことか、山城守と町医長庵、しきりに話しこんでいる。
二
棟上《むねあ》げの式も一|段落《だんらく》ついて、出入り
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