烏と唱えたもので、上には上がある。きょう瘤寺うらへ出張って来ている遊佐剛七郎、春藤幾久馬、鏡丹波の三人なんか、強いとは言っても、この三羽烏から見れば、まるで赤子同然なので……。
 早くも持て余し出したのか、このうち一人を援兵《えんぺい》に呼んで来いというのだ。
 右近は、虚無的《きょむてき》な蒼い顔に筋ひとつ動かさず、床の間を背に、生えたように立っている。半九郎が大声に仲間《ちゅうげん》を呼んで、雨戸を開けさせたので、そこから庭へ誘《おび》き出そうとするのだが、右近は、五人に一人、広場へ出ては不利と見て、誘《さそ》いに乗ろうとはしない。
 この時すでに、あとを任《まか》せた鏡丹波は、芝源助町をさして横地の屋敷を走り出ていた。
 が、それまで庭の繁みに潜んで、芝居の舞台のように、開け放されて灯の明るい座敷に剣の光るのを見ていた、ひとつの黒い影が、吸われるようにスタスタと、かれのあとを尾《つ》け出したのを、丹波は、急いでいて気がつかなかった。
 黒い影……それは、女性《にょしょう》であった。
 茨右近とともに斬込みに来て、そとで様子を窺《うかが》っていた知らずのお絃である。ピタピタピタと草履を鳴らして、丹波を追って行ったが、途中から向きを変えて神田の帯屋小路へ。
 先方に援軍が来るなら、こっちにも援軍が必要だ。そうだ、自宅《うち》の喧嘩屋にゴロゴロしている神尾さんと、それからあの、いつかの晩のヒョンな髪引きが縁になって、腕貸しの約束をして下すった、辻説法の釣魚狂《つりきちが》い、無宿《むしゅく》の心学者《しんがくしゃ》魚心堂先生《ぎょしんどうせんせい》にお越しを願おう――知らずのお絃、白ちりめんの蹴出《けだ》しが闇黒《やみ》におよいで、尻っぽに火のついた放れ馬のよう、それこそ、足もと知らずにスッ飛んで行く。
「いや、それは。押し出してブッタ斬れと言われれば、ブッタ斬りもしようが――」
 造酒《みき》は、こう言いさして、ジロリと客を見た。
 ちょうどそのとき。
 それは源助町、無形一刀流道場の剣主、神保造酒の奥座敷である。
「有情無形《うじょうむぎょう》」と大書した横額《よこがく》の下に、大身の客のまえをも憚《はばか》らず、厚い褥《しとね》にドッカリあぐらをかいている、傲岸不遜《ごうがんふそん》、大兵《だいひょう》の人物、これが源助町乱暴者の隊長とでもいうべき神保造酒先生
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