庵、何事? と家の中へ引っ返しながら、気がついてみると、いま渡された西瓜《すいか》のような物を大事そうに持っているから、上り口の行燈《あんどん》に照らしてよく見てみようとした。
が、よく見る必要はなかった。ぎゃおッ! と、不思議なおめき声をあげると同時に、長庵、その貰い物を土間へ抛り出して、自分は、弾《はじ》かれたように壁へ倒れかかった。長庵の手からころがり落ちた生首――大迫玄蕃の首は、つい先刻《さっき》まで自分がはいていた下駄《げた》の上にトンと載《の》っかって、おい長庵、おれアこんな情けねえことになったよ、と言わんばかり、不思議そうにまじまじと長庵を見上げているぐあい。
下駄《げた》をはいた生首《なまくび》――。
あまりの妖異《ようい》さに、長庵は暫時《ざんじ》声を失ったが、やがて、夢中に同じ言葉をわめき立てていた。
「やッ! 殿様が! 殿様がッ――」
九
「何? 大迫の屋敷から仁平《にへい》が使いに参った? ふウム、急の用と申す。苦しゅうない。庭へ通せ」
書見《しょけん》にでも飽きたか、同じく御書院番の一人で浅香慶之助、三十四、五のちょいとした男ぶりだ。縁側にちかい部屋の敷居《しきい》ぎわまで出て来て、思い出したように、しきりに爪を切っているところ。
大名小路《だいみょうこうじ》、雉子《きじ》ばし御門横、砲筒御蔵《ほうづつおくら》の前の浅香の屋敷である。
もう寝《しん》に就こうかと思っていると、あわただしく用人がやって来て、もちの木坂の大迫様から仲間《ちゅうげん》仁平が使いに来たというので、早速、すでに閉めた雨戸を一まい開けさせ、その外の庭先へ仁平をつれて来させて会ってみると……。
何者の悪戯《いたずら》か、それとも真の脅迫《きょうはく》か。穏《おだや》かならぬ貼《は》り紙がしてあるという。それにつけて、大迫玄蕃が自分に助護《じょご》を求めている、と聞いて、剣快の名をほしいままに浅香慶之助、心からおかしそうに、
「大迫も弱《よお》うなったナ」
笑った。が、助力《じょりょく》を求めて来られた以上、捨てても置けぬ。些細《ささい》な事にきまってる。どうせ笑い話になるだろうとは思ったが、念のため、邸内《ていない》の道場において腕に見どころのある、用人若党らを四人引きつれ、仁平を案内に、浅香慶之助が屋敷を出たのが、ちょうど五ツ半が四ツへ廻
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