したような一語が流れ出た。
「首――」

      七

「えッ! 首?」
「首じゃ、首じゃ、首じゃア……一番首、二番首、三番首と十七の首じゃア!」突如《とつじょ》起《た》ち上った神尾喬之助、晴ればれと哄笑《こうしょう》して、「わハハハハハ、首が転《ころ》がる。首がころがる。どこに? そこに、そこに、ソラ、そこに――」
 あッと言う間に、すらり抜いた刀を、ブランと片手にぶら提《さ》げて、喬之助は、あらぬ方を見詰《みつ》めて立っている。その眼には纏《まとま》りがなく、着物の前が割れて、だらしなく下着《したぎ》が見えているのだ。言うことばも唐突《とうとつ》で、何だか辻褄《つじつま》が合わないよう――なので、大迫玄蕃は、いっそうゾッとして二、三歩、あとへ退った。
 狂気《きょうき》? そうだ。この神尾喬之助は、発狂しているに相違ない。
 それなら、尚《なお》のこと。
 いやが上にも下に出て、とにかく、人が来るまでなだめて置くのが上分別《じょうふんべつ》と思ったから、大迫玄蕃も一生懸命だ。
「いやア、よく来た。よく来なすった。昔の友達《ともだち》を忘れずにナ、ありがたい」あんまりありがたくもないが、
「マ、そ、その、人斬庖丁《ひときりぼうちょう》という物騒《ぶっそう》なものを納めなされ。そして、そして、何なりと、ゆっくり話を承《うけたま》わろうではござらぬか」
 喬之助は、春の野に蝶を追うような様子で、フラフラと泳《およ》ぐように、前へ出て来た。パラリ、結び目の解けた手拭の端《はし》を口にくわえて、やはり、右手《めて》にはだらりと抜刀《ぬきみ》を提《さ》げている。虚《うつ》ろな表情《かお》だ。口走るように、言った。
「首をくれ! よウ、その首をくれエ!」
 ぎょッ! とすると玄蕃、思わず自分の首筋《くびすじ》へ手をやった。が、よく見る迄もなく、これはいよいよ気狂いである。神尾喬之助は、公儀《こうぎ》の眼を潜《くぐ》って逃げ隠《かく》れているうちに、心労《しんろう》のあまり、気が狂《ふ》れたのだ。と、思ったから、きちがいなら、きちがいで扱いようがある。もう何も怖るる必要はない。ただ、相手に白刃《はくじん》があることだが、何とか欺《だま》して取り上げる工夫《くふう》はないかしら?――気違いに刃物、これほど危いものはない。待てよ。いきなり横あいからでも組み付いて――と、玄蕃、隙
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