と言えば分別《ふんべつ》盛りの好い年をしながら、ああして戸部近江之介他一同が、伊豆屋のお園の件をはじめ、つまらぬことで事ごとに眼に角を立てて新参《しんざん》の神尾喬之助を嬲《なぶ》り物にしているに際して、陰《いん》に陽《よう》に庇《かば》い立てでもするどころか、この玄蕃、組与頭戸部近江へごま[#「ごま」に傍点]を擂《す》る意《こころ》も手伝って、自分から先に立って喬之助いじめに日を暮らしたのだった。
事件のあった元日だってそうだ。
ひれ伏していた喬之助に、
「当人は泣きよる?」
「なに、泣いておる?」
「ほほう、すりゃ、人形でも涙をこぼすと見ゆるナ」
「面白い。見てやれ」
「そうじゃ。引き上げて、顔を見い!」
「構わぬから、髷《まげ》を掴《つか》んで引き起すのじゃ」
すこし大人気《おとなげ》なかった。が、あの場合、行き掛りもあった。調子に乗って手を伸ばし、ムンズと喬之助の髪《かみ》を握《にぎ》ってグイ! 力まかせに引っ張り上げたのは、この大迫玄蕃だった。
ちと遣り過ぎたようだわい――あの後すぐ、軽い後悔《こうかい》を感じたように、玄蕃は未だにそう思っているのだった。
それからが大変ごとだった。
泣いていたと思った喬之助は、泣いていたのではなくて、顔を伏せて笑っていたのだ。そして、一同を尻目《しりめ》にかけて、控所《ひかえじょ》を出て行った。止せというのに、戸部近江之介が後を追った。と、間もなく、その近江之介の首が溜《たま》りへ投げ込まれて、喬之助は、それ以来、厳《きび》しい詮議の眼を掠《かす》めて、今に姿を現さぬのである。
さぞこの俺を恨《うら》んでいるだろうな。じっさい、あの喬之助だけは見損《みそこな》った。女子を嬉《うれ》しがらせるほか能のない、生《なま》ッ白《ちろ》い青二才とばかり思い込んでおったのが、あの、俺に髪を取られた顔を上げた時の、豪快な笑い声はどうだ! また、相当|腕《うで》の立つ近江之介殿をあッ[#「あッ」に傍点]と言う間に文字通り首にしたばかりか、大胆《だいたん》といおうか不敵《ふてき》と言おうか、城中番所の窓から抛り込んでおいて逐電《ちくでん》した喬之助のやつ、恐ろしく出来るに相違ないのだ……。
虫の知らせというのか、大迫玄蕃は、その神尾喬之助が、どこからか、今度は自分の首を、日夜|狙《ねら》っているような気がしてしようがないの
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