《まわり》を固めて、同時に家の中へ押し入ってみると、
なるほど、それらしい職人ふうの男がひとり、娘に匿《かくま》われるようにして立っていたのだが、それにしては、本人も、顔いろ一つ変えていないし、第一、あるじの壁辰が、落ちつき払って坐りこんでしまった。
音に聞えた黒門町の壁辰である。職人ながら、お捕物《とりもの》にかけては、与力《よりき》の満谷剣之助なども一目も二目も置いている、黒門町なのだ。もし、この男が、山城守から伝わって来たとおり、例のおたずね者の神尾喬之助なら、こうして自分達が出てくるまでもなく、黒門町の手で、とうの昔に押えられていなければならないはずだ。しかるに、家の中の空気は、和気藹々《わきあいあい》として、今まで三人で世間ばなしでもしていたらしい様子である。どうも、飛んでもない人違いではないかしら――。
あとで、黒門町に、頭の上らないようなことになるのではないかしら――。
と、思ったから、それ掛れッ! と下知《げち》を下しながらも、満谷剣之助、内心うす気味わるく感じているところへ、その、十手をひらめかして打ちかかろうとしていた御用の勢の真中から、やにわに、金山寺屋の音松の笑い声が聞えたのだった。
「お! こりゃア喧嘩渡世の旦那じゃアござんせんか。ついお見それ致しやして、面目《めんぼく》次第もござんせん。あははは、あなたさまは、神田帯屋小路の茨右近さまでございましたね」
見事に取り違えた――のか、それとも、これは何か訳があると白眼《にら》んで、黒門町に義理《ぎり》を立てて喬之助を助けるために、とっさに似た人を思い出して、わざと間違えたのか――とにかく金山寺屋の音松が、笑い出してそう言うから、渡りに船とばかりに、ホッと張り詰めていた気を抜いた壁辰が、
「ははははは、金山寺の、とうとう気がついたか。おめえの眼は、さすがに高《たけ》えや。いかにも、このお方は、おめえの今言った、神田帯屋小路の――」
「喧嘩渡世の茨右近さま。なア、それに違えねえのだ」
いよいよ情を知って助けるつもりとみえる。金山寺屋の音松は、眼顔《めがお》で知らせながら、教えるようにいったのだった。
それを、逸早《いちはや》く、神尾喬之助も飲みこんで、
「いや、好奇《ものずき》から、かように下らぬ服装《なり》をしておるため、何かは知らぬが、あらぬ嫌疑《けんぎ》をこうむり、えらい人さわ
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