字の口に太い眉、それに、肩幅が広くて体じゅうに瘤のような筋肉が盛れ上っている――この辺で有名な怪童、威丈夫、剣客。
 その平馬がいま打割羽織《ぶっさきばおり》に野袴《のばかま》、手馴《てな》れの業物《わざもの》を閂《かんぬき》のように差し反らせて、鉄扇片手に春の野中の道をゆらりゆらりと歩いて行くのだ。人が見たら物騒な武者修業者が流れ込んで来たとでも思うかもしれないが、前後に人もなく、平馬は誰にも逢わなかった。
 国境に川がある。横笛川という。
 流れは、深いわりにさほど広くはないが、両岸の川原の幅が広いので、その全体に架《か》かっている橋はかなりに長いものだった。太い木を高く架けて、水中や川原に大きな柱が立っているのが、遠くからでも見られた。試みに橋の上から唾をすると、下へ落ちるまでに、しぶき[#「しぶき」に傍点]のように粉々になってしまう。それほど高い橋だった。月見橋という。この橋を境に、こっち側は平馬の藩、向う側は他藩ということになっていたが、平馬はいまその橋を渡っている。
 しかし、考えながら歩いていると自分がどこにいるのかわからないことがある。この時の平馬がちょうどそうだった。
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