うき》の里。水野日向守《みずのひゅうがのかみ》一万八千石。
他は下妻《しもづま》の町、井上|伊予守《いよのかみ》一万石。
この二つの藩の若侍はことごとに仲が悪かったが、ことに筑波神社のお祭が近づいて来ると、いっそうその反目の気分が濃くなるのだった。そのわけは、毎年、筑波神社の祭礼に、両藩の若侍のなかから、剣にすぐれた者が選び出されて、社前で奉納の大仕合が行われる。結城の城下には、北辰《ほくしん》一刀流の道場があって、この仕合を目あてに猛烈な稽古を励《はげ》んでいるかと思うと、下妻には、真庭念流《まにわねんりゅう》の先生がいて、これも筑波の奉納仕合を目前に、それぞれ血の出るような修業をしているのだ。じつに、筑波神社の奉納仕合はたんに両藩若侍の間の勝負ではなしに、藩全体が力瘤を入れて、百姓や町人まで夢中になる一大年中行事であった。
今までの成績を見ると、三年前までは、ほとんど毎年のように結城の藩が、名誉の勝利を得てきたのだったが、それがどういうものか、下妻藩につづけざまに三年勝ち越されているのである。そこで結城の若侍、腕を扼《やく》し、歯を噛んで、今年こそはと意気込んでいる――その仕合も近い。
ところがここに、下妻の藩中に一つの暗い報告が齎《もたら》された。それは、今年こそは結城の平馬が、いよいよ仕合に出るらしいという一事である。
いったい、毎年試合が近づいて来ると、両方の藩から若侍たちが変装して、各々敵方の藩へ潜《もぐ》り込んで、敵の力量を探索することになっていた。これらの間諜は、あるいは町人に化けて、それとなしに道場の武者窓から試合ぶりを見たり、主《おも》だったひとりひとりの太刀筋や、手癖をきわめて、これを逐一自分方へ知らせて、応戦の参考にするのだったが、この二、三年、下妻の間者がいずれも舌を巻き怖気をふるって、引き返して味方へ報告したのが、少年剣客平馬の腕前であった。
あの平馬というやつに出られては、残念ながらこの下妻じゅうに歯のたつ者はあるまい――下妻の若侍一同、みなこう言って、顔を見合わせたものだが、幸いにして今まではいくら強くても平馬は仕合に出られなかったのだ。というわけは、仕合に出るのは若侍とかぎられ、元服して前髪を落した後でなければならなかった。そして平馬は、身体《からだ》こそ怪童として近在近郷に鳴りひびいていただけに、普通の大人以上に大きかったが、まだ元服前のために、むざむざと引っ込んで味方の負けるのを見ていなければならなかったのである。だが、それも去年まで!
平馬、今年十五歳、元服して大人になった姿はじつに凛々《りり》しい武者ぶりであった。
下妻の若侍たちは、平尾出場の噂に、仕合に出ない先からもう負けたつもりで銷沈《しょうちん》している。
このとおり敵に恐れられている平馬は、じっさい人が怖がるのも無理もないほど、鍛えに鍛えた逞《たくま》しい体力と鉄石のような負けじ魂と加うるに、この数年師匠を驚かすくらいに上達した北辰一刀流の剣技――この三つの権化《ごんげ》であった。
この武骨の平馬、やさしい鶯が縁になって、その鶯よりも優しい飼主の少女と今こうして庵《いおり》の竹縁に腰をかけて話している。
庭いっばいの日光に、苔《こけ》の匂がむせかえるようだ。
闇討の相談
「ホウホケキョ!」
と、また鶯が鳴くと、少女は、平馬の顔を見てはにかむ[#「はにかむ」に傍点]ようににっこりした。
「可愛い鶯でござりましょう。私は大事にして飼っているのでございますが、ずいぶん声のいい鶯だとおっしゃって、皆様が賞《ほ》めて下さいます。さっき籠の掃除をしようと思って、手を入れた拍子に逃げたのでございますが、でも、あなたが捕えて下さいまして、ほんとうにありがとうございました。きっと、もう遠くの山へでも飛んで行ったものと思って、私はがっかりしながら念のために外まで見に出たところでございました」
平馬も親しそうに微笑《ほほえ》みながら、
「いや、お礼をおっしゃられては困ります。拙者が鶯をつかまえたのではなくて、うぐいすが拙者を捕えたようなものでした。ぶらりと何心なくお宅の前を通りかかると、あの鶯が飛んで来て拙者の手の甲にとまった、はははは。それだけのことです」
こう言って平馬は、はじめて気がついたように、珍しそうにそこらを見廻した。武士の住居らしく、小さいながらもきちんと片付いて、気持の好い家である。はてな?――ここはどこだろう。平馬がこう思っていると少女は不思議そうに平馬のようすを眺めていたが、やがて、
「あの、あなた様はどちらの――?」
同時に平馬の方からも問いを発した、
「ここはどこです?」
「下妻でございます」
これを聞くと平馬は、ちょっとびっくりした。今度の仕合にどういう手で立ち合ったものかといろい
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