えこむと、すぐに平馬の声があとを引き取って、
「各々方の忠言、まことにありがたい。ありがたくはござるが、この平馬、下妻のやつらなど少しも恐れてはおりませぬ。先方が仕合前に、そんな小策を弄して拙者の出場を邪魔だてしようというのなら、拙者にも考えがござる!」
「考えとは、どういう考えです?」
「ほかでもござらぬ。そんなにやつらが、拙者を狙っているなら、今宵これから拙者が単身下妻の城下へ乗り込んで、大通りにふんぞりかえって、眠って見せてやろうと考える。朝になればどうせ拙者を見つけて、大さわぎをするであろうが、そこで拙者が、眼を擦りこすりむっくり[#「むっくり」に傍点]起き上って、下妻城下のやつらを白眼《にら》みかえして帰って来るのだ。先んずれば人を制す。こうして出はなを挫《くじ》いてやれば、さぞ痛快だろうではないか?」
 平馬のこの突飛《とっぴ》な申出には、大分反対の声が湧いた。そうとう腕の立つ連中が大勢、刀に手をかけて探しているのに、そこへこっちから乗り込んで行くというのは、まことに危険な物好であると言わなければならない。
「一人で行くのか」
「もちろん一人で行く」
「しかし、それも面白いが、この霧をはらしてからにしたまえ。この深夜の霧の中を敵地へ踏み込むのは、みすみす敵の術中に陥るようなものだ」
 と、みんなが口を揃えて思い止まらせようとしたが、平馬はいっかな聞かなかった。
「なに、これから行って一泡吹かせてやるのが面白いのだ」
 こう言って頑張りとおしたすえ、とうとう平馬が一人でこの霧の深夜に月見橋を渡って下妻の里へ乗り込んで行くことになった。
 ここまで聞くと木の影の鏡之介、今夜こそ好機、途中待ち伏せして、大勢でひどい目に合わしてやろう。ことによったら斬り殺してもかまわぬと思いながら、急いで立ち上って森を出ると、韋駄天走《いだてんばし》りに自藩の方へ駈け出した。
 あとには、森の奥の結城組一同、平馬を中心に小さな輪に集って、額を突き合わして何事か真剣に談合している。
 霧が濃くなったとみえて一同の肩が重く湿る。近くの木で、ホウ、ホウと二声、梟《ふくろ》が啼いた。

   濃霧の夜

「それではそこらまで送って進ぜよう」
 いつの間に帰ったものか、集っていた人数の大部分がいなくなって、森に残っていたのは、平馬を取り巻く三人の友達だけだった。それが、月見橋の袂《たもと》まででも平馬を送って行くということになって、四人、霧の中に提灯をともして、矢筈の森を後にした。
 やがて来かかったのが月見橋|橋畔《きょうはん》。
 霧の奥に川の水音が寒々しく流れて、寂寞《じゃくまく》たる深夜のたたずまい。
 と、橋の袂にぽつり[#「ぽつり」に傍点]と一つ提灯の灯が見えて、何やら黒い人影が――。
 近づいて見ると、橋に丸太を打ちつけて、それに紙が貼ってある。
  橋の中央破損につき通行禁止の事[#「橋の中央破損につき通行禁止の事」は太字]
 平馬が提灯をつきつけると、こう読めた。提灯を持って番人が立っている。
「どうしたのだ? 橋の真中がこわれたとあるが――」
 平馬たちが番人を返りみると、番人の男は続けさまにおじぎをしながら、
「へい。どうしたものか真中から少し下妻の方へ寄ったところが落ちまして、通れないほどではございませんが、なにぶんこの霧で危のうございますから、いっそ通行を禁じた方がよかろうということになりましたので、へい」
「いつから禁止になったのだ?」
「いえ、つい今しがたでございます。いま手前が来て通行止の丸太を打ちましたところで」
 平馬はそれを聞き流したまま平気で丸太を乗り越えたかと思うと、そのまま橋の上の霧に消えて行った。番人も仕方がないから、ぶつぶつ[#「ぶつぶつ」に傍点]言いながら、後に残った三人の友達と話していた。
 月見橋。
 名は美しいが、今夜は月どころか、ひどい霧である。まるで雨が降っているように、欄干《らんかん》から橋板がびっしょり[#「びっしょり」に傍点]濡れて、ともすれば辷《すべ》りそうになる足を踏みこたえながら、平馬は大刀の柄に手をかけて、きっ[#「きっ」に傍点]と先方に眼を凝らして進んだ。
 と!
 橋の中央にさしかかった時だった。ゆくてに赤っぽい提灯の光が見え出すが早いか、ばたばたと大勢の足音がとんで来て、突如、霧の中から躍り出た二十人余の人数が、橋上に平馬を取り囲んだ。
「汝《なんじ》は結城藩の平馬であろう?」
 先に立った一人が言った――千草の兄鏡之介である。
「平馬、俺がさっき貴様らの会合に忍んで、貴様の来るのを知って、ここに待ち伏せしていたのだ。奉納仕合の前に真剣勝負だ。来いっ!」
 叫ぶと見るや、鏡之介、真庭念流の覚えの腕に、氷刀一時に閃めいて、さっ[#「さっ」に傍点]と平馬の退路に立つ。同時に
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