、下妻方の人数一同、きらり、きらりと抜きつれて迫った。
霧に煙る剣陣。
だが、少しも驚かない平馬。ぱっ[#「ぱっ」に傍点]と羽織を脱ぎ捨てるが早いか、とっさに豪刀の鞘《さや》を払って、一声大声にどなった。
「さあ、みんな出て来い! 俺はこの鏡之介を相手にするから、各々方はこやつらを斬り散らして下されい」
すると、この声に応じて、橋の下の横柱から無数の黒装束が蟻の群のように、橋の上へ這い上った。十人。十五人。二十人。三十人――結城の伏勢である。
ここで霧の中の月見橋の上に、一大争闘の場面が現出したが、結果は分明だった。多勢に無勢をもって、平馬一人を取っちめようとした鏡之介ほか下妻の一同も、二十人に対する三十人以上では、同じく多勢に無勢で、かえって蜘蛛《くも》の子を散らすように退散しなければならなかった。
平馬は、斬ろうと思えばいくらでも鏡之介を斬り捨てることができたけれど、あの優しい千草の兄と思えば、平馬にはそれはできなかった。
わざと下妻の者をおびき寄せて森の奥の密談を聞かせ、それから橋の下に伏兵を忍ばせておいて、平馬ひとりが橋を渡るという――これはすべて平馬の計画で、手紙を齎した鸞は、平馬の愛している飼鳥であった。こうして敵をおびき出して逆にその裏をかいたのである。もとより橋の壊れたというのも敵の計で、乱闘中に結城方からの邪魔を入れないためにほかならなかったが、その番人も平馬の友達三人のためにすぐに押えられていた。
その夜明け、傷ついた鏡之介が、平馬の肩に縋《すが》って、あの鶯の宿にとどけられた。
そのお礼として千草は平馬に、いつかの鶯を呈したので、豪雄平馬、二羽の鶯を大事に飼うことになった。
この鶯の啼き交わす長閑《のどか》な美しい声に結ばれて、さしも長い間わだかまっていた結城、下妻両藩の間の悪感情もとけて、それから後は、両藩の若侍たち、嬉々《きき》として邪念なく、和気靄々《わきあいあい》のうちに、正しく神前に勝負を争うことになった。武は勝たんがための武ではない。正しく生き、健《すこや》かに明るくあらんがための武であり、剣であるということが、この二羽の鶯を見るたびに、いつまでも両藩の若侍たちの胸に力強くひびいたという。
平馬はもとから自分の飼っていた鶯を結城と呼び、千草鏡之介、兄妹から贈られた鶯を下妻と名づけて、毎年、筑波神社祭礼の奉納仕合の
前へ
次へ
全12ページ中11ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング