ちを、芸を売っているのだった。
大次郎のそばに、駕籠が一つ置いてある。何の変哲もない普通の駕籠だ。
大次郎は、その垂れをはぐって、中に種、仕掛けのないことを人々に見せた後、
「さあ、これへ。」
と千浪へ合図をすると、千浪は足取りも淑《しとや》かに、背を屈めて、その駕籠の中へ下りる。
「さあ、こうしてこの垂れを下して――。」
そう言うと大次郎は、いま千浪と入れ違いに駕籠から取り出した三十本ほどの刀の束ねたのを地面に置いて、それと共に、駕籠の屋根から取り下ろした長い太い細引きを、見物のほうへ差し出した。
「お女中は、こうして駕籠の中にはいっておる。垂れは両方から下ろした。そこでお立ち会い、おぬしらの中から、誰でもいいから出て来て、この細引きで、この駕籠を縦横無尽、がんじ絡めに縛ってもらいたい。」
見物一同はもちろん、宗七もお多喜も、狂女小信も、何をするのかと、にわか芸人大次郎を凝視めていると、群集の中から、町家の番頭ふうなのや、鳶の者、職人など、物好きなのが飛び出して、大次郎の手から細引きを受け取り、にやにや笑いながら、その千浪のはいっている駕籠を横に縦に、八方に綱を廻して、めちゃくちゃにしばり上げてしまった。
細引きを掛けた駕籠は、そのまま大地に立っている。
木曾の桟橋《かけはし》
「うん、それでよい。大地には種仕掛けはないから、いまこの駕籠へはいった女は、ちゃんと中におる。そうしてこのように、綱を掛けてしまったら、もうどこからも出られぬわけ。念のために、中におるかどうか――。」
駕籠へ近づいた大次郎が、
「お女中!」
と呼ばわると、中でこつこつと駕籠の底を叩く音がして、大丈夫千浪ははいっている。
「そこで――。」
と呻くように言った大次郎は、まず、その三十本ほどの刀の束から一本取り上げたかと思うと、ぎらり鞘を抜き払ってやっという気合いの声もろとも、垂れの横から、駕籠の中央を目がけて、ずぶりと刀を刺した。柄元まで通って、向う側の垂れを破り、刀の斬尖が突き出る。
あっと群集は驚きの声を揚げたが、中の千浪は、声一つ立てない。と思う間に、大次はつぎつぎに刀を抜き放って、今度は反対側の横からずぶり! また第三の刀は篤龍の屋根からまっすぐにと、一つは棒鼻の下から駕籠を縦に串ざしに、刺し通す。見る間に四、五本の刀が、あらゆる角度から駕籠に刺さって、横に斜めに、何本もの斬尖が、反対側へ突き出ているのだ。中の女は、ひとたまりもなく一寸刻みに刺されたであろう、見物は声を呑み、顔色を変えて凝視めている。
「そう驚くことはない。これからが大変なのだ。」
と笑った大次郎、
「この刀は、すべて触れば斬れる逸物揃い、証拠のために。」
とまた、刀の束から二本とって、刀身をかちかちと打ち合わせて見たかと思うと、
「ええいっ!」
と裂くような一声。また一本を上から駕籠へ突き刺した。同時に、
「や!」
とまた今度は、駕籠の背後から、中の女の背を突き通すように、柄元まで駕籠へ刺し込む。
群集のある者は、もう眼を掩《おお》っている。
気の弱い女などは前にいたのが、そろそろと背後へ引っ込んで行く。
見る間にその三十本の刀全部が、前後左右と上から、柄まで駕籠へ刺されて、駕籠はまるで、栗のいが[#「いが」に傍点]のよう――。
中の女は、もう眼も当てられない肉塊と化し去ったことだろうが、それにしては、駕籠を通して、血がすこしも流れ出ないのが不思議と、見物は眼を見張っていると。
「これでよし。女はずたずたに刺し殺されてしもうた。そこで、お立ち会い! 今わしが、この三十本の刀を引き抜くから、誰でもよい、すぐこの綱を取り払って、駕籠の垂れを上げてほしい。」
そう言いながら大次郎は、駕籠のまわりを歩いて、その三十本の刀を全部抜き取ってしまう。
最後の一本が抜き取られるのを待って、群集の中から飛び出した二、三人が、素早く縛ってある細引きを取り外け、駕籠の垂れを開けると、中から千浪がにっこり笑いながら、駕籠を出て来た。身体はもちろん、着物にも帯にも、いずことして疵一つない。
あまりの妙技に、群集はどっと歓呼の声を揚げる。
宗七もお多喜も、われを忘れて凝視めていた。気の早い江戸っ子の群集なので、大次郎が扇子をひろげて歩き廻ると、ばらばらと鳥目《ちょうもく》が扇子の上へ飛ぶ。
三十本の刀を鞘におさめ、その細引きでぐるぐる巻きにして駕籠へほうり込むと、これで芸は終った。
千浪は恥かしげに終始駕籠のわきに首垂れて立っていた。
これは別に不思議はないので、中にはいる千浪の坐り方一つにある。
「木曾の桟橋《かけはし》」と言って、手足をひろげ、胴をくねらせて、狭い駕籠のなかで、一種独特の微妙な坐り方をするのである。それがわかっているから、大次郎は、一厘一毛の隙でその千浪の身体を避けながら、縦横無尽に刀を突き刺す。千浪の身体が崩れず、すこしも動かない以上、これはなんら危険はないのだ。
駕籠を突き刺す場所まで、一つ一つ大次郎には決っていて一瞬間の居合いの骨《こつ》、手許の狂うことは断じてないのである。
法外流居合の秘奥《ひおう》「駕籠飾り」――その刀を刺した駕籠が何十本となく、光る笄《かんざし》で飾られた女の髪のように見えるところから来た、名称だった。
御代参
が、大次郎は、どんなことがあっても女髪兼安だけは駕籠へ刺し通すことはしなかった。
煩悩を宿す妖剣、手許が狂って、千浪の身体に触れないともかぎらないので。
こうしてこの千浪と駕籠と、三十本の刀を資本に、彼はこの「木曾の桟橋――駕籠飾り」の芸を売物に、江戸の町から町と、さまよい歩いている。弥四郎頭巾の異装と千浪の美貌と、この離れ業が人気を呼んで、大次郎のとどまる辻々は、いつも人で黒山だが――。
するとある日、岡っ引の職分を利用して、それとなく出羽守の動静を探索していたやぐら下の宗七が、文珠屋佐吉の許へ報告を齎《もたら》したのには、
「祖父江出羽守が、故郷の遠州相良へ帰って行く。」
ということだった。
出羽のいない江戸に、三人は用はないのだった。
大次郎も千浪を伴い、この駕籠の奇術《てじな》を道中で演じながら東海道をまっすぐに遠州へ上ることになる。
こういう時こそ煩悩の金魔と化して、煩悩小僧として盗み溜めておいた金を役立てる場合であると、文珠屋佐吉は、手品用の――と言っても、何の仕掛けもないのだが――朱塗りの美しい駕籠を新調して、大次郎に持たしてやると同時に、自分も、その文珠屋の店は番頭の与助に任せて、承知の由公を連れて大次一行の背後から見え隠れ、これも飄々乎《ひょうひょうこ》として旅に上った。
やぐら下の宗七は。
密偵としての役を果たすとともに、妻のお多喜と一緒に、預っている狂女小信をいたわりながら、この三人は一番後から、東海道を上って行くので。
四つの奇妙な行列の一行が、一日行程ぐらいの間隔をおいて、東海道を西へ、西へ――。
先頭は、国へ帰る祖父江出羽守の大名行列。それから一日ほどおくれて、大次と千浪の手品駕籠の辻芸人、そのつぎは、文珠屋佐吉と承知の由公の主従。そしてしんがりは、宗七お多喜の二人が狂女小信を中に挾んで、夫婦連れ弾きの恋慕流しの旅姿。
この四組は、前後して遠州相良の城下へはいった。
「おう、今度八幡のお祭りに、境内へかかっている浪人の駕籠の手品は、素晴らしい人気だぜ。」
「うんそうだってなあ。美しい女子を駕籠の中へ入れて、めっちゃやたらに刀を突き刺しても、姐さんは疵一つ負わずに、にっこり笑って出て来るっていうじゃねえか。たいしたもんよなあ。」
と城下の人々の間には大変な人気が湧いたというのは、折よく大次一行をはじめ、三煩悩の一同が城下へはいって四、五日すると、遠州で有名な相良八幡の大祭礼。そこの境内へ、大次と千浪がかかることになったわけで。
今日は、その祭りの当日である。
年に一度の八幡の祭りだというので、城下は上を下への浮かれ調子、老も若きも打ち連れて、お宮へ、お宮へ――近郷近在からも、百姓衆が泊りがけで出て来て、境内にはありとあらゆる見世物の小屋がけ、客を呼ぶ声、物売りの叫び、着飾った人々、迷い子、喧嘩、掏摸、怪我人、大変な雑沓。
「下に、下に――! 下におろうっ!」
先きぶれの声が群集を分ける。太守祖父江出羽守参詣の行列だ。
庶民はわらわらと左右に崩れ込んで、裾を叩いて土下座する。その中を鳥毛の槍、鉄砲、奴《やっこ》の六法。美々しい行列が、鳥居をさして練って行くのだが――。
御代参である。
国家老が殿のかわりに、参詣するので――と言うのは、その太守の駕籠の中にはいっているのは家老で、肝腎の殿様は、お祭りの参詣など、こうして家老に押しつけたまま、自分は例の弥四郎頭巾に面体を包み、白絹の紋付に朱鞘の落し差し、群集のなかに紛れ込んで、かえって行列へ向って軽く頭を下げたりなどしているから、この祖父江の殿様、かなり人を喰っている。
神前白羽の矢
行列を見送った祖父江出羽守は、群集に伍してぶらりぶらりと、境内の見世物の間を歩き廻っているとふと眼についたのは、一段と人を集めている居合抜きである。
近づいて見ると――驚いた。
自分と同じ服装の、あの伴大次郎が、忘れもしない妻の千浪と共に、人を集めて何かしゃべり立てている。その足許に赤く塗った美しい駕籠が置いてあるので。
大次郎の口上よろしくあって、いつもの手品駕籠が始まったが、群集の中から秘かにそれを見物した出羽守は、すっかり度胆を抜かれた。
すると、この、人中の出羽を素早く見つけたのが、大次一行と一緒に城下入りをして、今日もそれとなくこの群集の間に出羽の姿を物色していた文珠屋佐吉、承知の由公、宗七お多喜の連中である。小信は、理由を話して、宿に看視を頼んで残して来ていた。
あらかじめ手筈ができている。佐吉が群集の中から、さっと手を挙げて、それとなく、ここに祖父江出羽守の来ていることを大次郎に知らせた。
と! それを見ると大次郎は、素早く群集の中へ飛び込んで、まるで逃げるように、一時、どこへともなく姿を隠してしまったのである。奇怪な大次の行動――。
有名なこの手品駕籠だから、もう一度見たい人が多い。評判を聞いて、今やって来たばかりの者も尠くないから、群集は承知しないのだ。
「おい、あの白覆面の居合抜きは、どこへ行った。」
「駕籠の女だけじゃあ芸にならねえ。」
「あの侍を探し出せ。」
「白覆面を探し出せ。」
途方に暮れたように、駕籠のそばに立っている千浪を取り巻いて、群集は、がやがやと大変な騒ぎになった。
すると、人々の中から、文珠屋佐吉が大声を張り揚げ、
「あ! あの居合使いは、そこにいる。白覆面は、そこにいるじゃねえか。」
とやにわに、人々の肩越しに、祖父江出羽守をゆび指した。
「そうだ、ここにいる。なんだ、こんなところに立っていたのか。」
「お侍さん、もう一度やってお見せなすっておくんなせえ。」
「もう一番お願えしやす。」
出羽守が気がつくと、人々の顔がいっせいに彼に向いて、なかには、前へ来てお辞儀をするもの、何本もの手が、背後からぐいぐいと押し、前から引っ張って、
「いやおれは違う。おれはこの居合抜きの侍ではない。」
出羽は頭巾の中で苦笑して、抗弁やら弁解やら――今さら城主の祖父江出羽だとも言えず、また言っても、殿様がこんな風態で、一人で歩いているなどは、誰も信じてくれるもののないのは知れきっている。
第一、殿様はいま、あの行列の駕籠に揺られて通って行ったばかり、今ごろは社殿で、厳粛に参拝していると思われているのだから――。
「違うも違わねえもありゃしねえ。お前さんは、今ひょっくり見えなくなったあの白覆面のお侍じゃあねえか。」
「着付けから紋まで同じだ。そんなことを言わねえで、もう一ぺんやって見せてくんなせえ。」
「違う! 違うと言うのに! これ、放せ、放さぬか。」
と、争いながら出羽は、群集の手で、とうとうその
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