、侍のような言葉づかいで、ずいと、その薄暗い土間へはいって行った。
時代で黒く光る帳場格子の中で、なにか帳合いをしていたらしい番頭の与助が、そろばんをそのままに、筆を耳に挾んで飛び出して来た。
「これは旦那、お帰んなさいまし――あの、由さんは。」
「うむ。由公か。ちょっと用達しがあってな、ほかへ廻った。」
言いながら、裾をはたいて上った佐吉は、大股に帳場を通り抜けて、二枚暖簾をうるさそうに頭で押し分け、奥の居間へはいっていく。
無言である。いつも口の重い文珠屋佐吉なのだが、きょうは何か心配ごとでもあるらしい顔つきなので、長く店にいて主人の気質も、何もかも知りぬいている与助は、おずおずあとにつづいて、
「何かございましたので――お出先にでも。」
「あったとも、大ありだ。」
佐吉は、どしんと縁側を踏んで、白壁の土蔵につづいた六畳の茶の間へ。
茶の間とは言っても、女房はおろか、家じゅうに女中ひとりいないのだから、茶の間らしい寛《くつろ》いだ、意気な空気はすこしもなく、茶だんすに長火鉢、それも秋口なので、火は入れてない。それだけ。
いたって殺風景なこしらえ。
すぐ眼の前が中庭で、
前へ
次へ
全186ページ中114ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
林 不忘 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング