喰らって白い花を赤く染めて断末魔の蹂《もが》きに草の根を掴む者、痛手を押さえて退《しりぞ》き、花のあいだに胡坐《あぐら》を組む者。
 大次郎のまわりには、入りかわり立ち代り、新手が剣輪を描いて。じっ――! 静止するかと見る! たちまち前後左右に飛び違える。鉄《あかがね》とあらがねが、絡んで、軋んで、押しあうひびき。掛け声は、出ない。沈黙の力闘なのだ。花の香を消す血のにおいが漂って、野の末にはむくむくと、梯子をかけて登れそうな雲の峰の群らだちである。
 その、夏の陽ざかりの入道雲を背景に、白い棒のような剣がうごいて、人は、草をふみしだいて縦横に馳駆する。
 大次郎も、かなり斬りつけられているに相違ない。着物はところどころ裂かれて、若布のように下がり、どす黒い血を全身に浴びて、顔ももはや人相がわからないほど血まみれなのだ。
 血で、女髪兼安の柄が滑るのか、時どき片手ずつ離してはじぶんの脇腹へ股へ、赤い掌をこすり拭いている。
 出羽は、動かない。
 両手をひらき気味に、背後の千浪を遮《さえぎ》って立ちはだかったまま、じっと、その大次郎の太刀捌《たちさば》きを眺めているのだ。
 広い野づらに、小さな人影が入り乱れて、血戦はつづいてゆく。花だけが静かに呼吸づき、雲は、移るともなく、すこしずつ流れている。
 この時である――。
 お花畑の隅の、山みちに寄ったほうに、一むらの灌木の繁みがある。その陰にそっと身を潜めて、葛籠笠を傾け、道中合羽の袖を撥ねて、さっきから憑《み》されたように、この斬りあいに見入っている人物がある。
 手甲《てっこう》脚絆《きゃはん》、荒い滝縞の裾高くはしょって、一本ざし――見覚えがある。
 文珠屋佐吉だ。
 かれ、三国ヶ嶽から下りて早朝に、藤屋へ宿をとったのだが、間もなく下座敷の侍の一行が、例のむすめを押し囲んでにわかに出発するもようなので、脱いだばかりの草鞋をすぐ穿き、ずっとおくれて後をつけて来たのだが。
 驚いた。
 尾《つ》けているのは、じぶんだけではない。
 山上に利七と会っているはずの大次郎――七年会わないあいだに、すっかり江戸風の、立派な若ざむらいになった大次郎が、押っ取り刀で、見え隠れに一同の跡を踏んで行く。そして、ほかにも誰か人を求めているらしく、きょろきょろあたりを窺っていくようすなので、これには何かわけがありそう――見つけられては面白くないと、文珠屋佐吉、木の軒、草の深みを楯に、一行をつける大次郎を尾けて身を隠しながら、やっとこのお花畑まで来たので。
 すると、この乱闘だ。
 大次、いつの間にか腕を磨いて、おそろしい使い手になったものだ――と、われを忘れて見惚《みと》れていた文珠屋は、そのとき、わっと人声に気がつくと!
 逃げ出したのだ、千浪が。
 どういう隙があったのか、警戒の侍を振りほどいて、千浪が一散に駈け出している。
 血なまぐさい光景に失神しそうなのだろう。無意識に、懸命に走りだしたらしい。それが、裾を蹴りひらいて、転《こ》けつまろびつ、佐吉の伏さっているほうへ駈けて来るのだ。
「あっ! 千浪さま!――。」
 大次郎の大声がして、すぐ、左右を一気に斬り払い、と、と、とっと大次も、千浪につづいて走って来るのが見える。
「追うな! これ! 追うなと申すに! 雌蝶雄蝶だ。はっはっは、逃がしてやれ。」
 出羽守の笑い声が、ばらばらと後を追おうとする中之郷、山路、北らの足をとめた。一同は抜刀をぶら下げたまま立ち止まって、去り行く大次郎のうしろ姿を、じっと見送っている。
 こちらは、文珠屋佐吉だ。
 猛獣のように藪かげに待ちかまえていて、来かかった千浪を、やっといきなり、横抱きに抱きかかえるが早いか、ほそい一ぽん路が反対側へ、ずっと木の間へ伸びている、そこを、佐吉、千浪の胴に片手をまわして急ぎだしたが。
「待たれい! 待てっ!」
 うしろに、大次郎の声だ。今の野原では、むこうに小さく人かげが集《かた》まって、負傷者《ておい》に応急の手当てをし、下山の道をつづけるらしい。こっちへ来る気はいはない。
「待てというのは、わしかね? それとも、このお嬢さんかね?」
 ぬけぬけと言って、文珠屋佐吉、樹の下の小径に振りかえった。

     秋深く

 陽は、高い。暑いのだ。文珠屋は、その陽のほうへ背を向けて、自分の顔を影にすることを忘れなかった。
 が、そんな気づかいをしなくても、彼はつづら笠をかぶっている。また、その編目は粗《あら》く、なかの顔は透いて見えるけれど、大次郎は生死の血戦を経たあとで、蹣跚《よろめ》きそうに弱っているのである。笠の中の相手の顔になど注意を凝《こ》らす余裕は、なかった。
 で、誰とも知らずの対応――。
「貴様も、その娘御を誘拐しようというのか。」
 大次郎は、ざくろの果《み》のは
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