今月今日、七月七日に、三人、この三国ヶ嶽の絶項、三国神社の境内で落ち合い、その後の身の上を語り合って、連絡をつけようということ。
 そして、そのあいだの七年間は、音信不通《いんしんふつう》。各自、道につとめて、たとえ街上《みち》で行き会っても、言葉をかけること無用たるべし。互に生死も不明のまま、七年目七年めの七月七日に、忘れなく三国ヶ嶽で――会う。かならず、会う。こういう三羽烏の生命《いのち》をかけた起誓《きせい》である。
 そこで、この、はじめての七年目。
 二十歳の伴大次郎は、二十七になり、こうして、江戸下谷練塀小路、弓削法外道場第一の剣の名誉として、今この思い出の山麓へ帰って来ている。
 他の二人は、どうしたか。

     弥四郎頭巾

「こういうわけで、私はこの山へまいったのです。で、その約束の日を待っておりましたので――今日は、七月六日。」
「おう、そう言えば、三国神社へ集まるのは、明日じゃな。」
「佐助に利七のふたりも、生きておりますれば、今ごろ登山《のぼ》っておるさいちゅうでござろう。七月七日の夜の引き明け、という申しあわせですから――どれ、そろそろ私も。」
 無造作に起ち上る大次郎を千浪は、縋りつくような眼で見上げて、
「けっしてお留めはいたしませんけれど、でも、この大風、それに雨さえ――お父さま、どうしたらよろしゅうございましょう。ああ、あたしは、心配で――なりませぬ。」
「大丈夫。」大次郎は、もう、縁側へ踏み出していた。「明日の夕刻までに帰ります。いかな大風だとて、吹き飛ばされもせず、紙子細工ではござらぬから、濡れたところで大事ない。ははははは、二人に、この拙者を見せて、またふたりの苦心談を聞き、語りもするのがなによりのたのしみ――では、先生、千浪さま、行ってまいりまする。」
 黒七子《くろななこ》の紋つき着流しのまま、葛籠笠を片手に、両刀を手挾《たばさ》んで梯子段へかかる大次郎のうしろから、法外老人と千浪が送りにつづいて口ぐちに、
「ひどいあらしですこと。ほんとに、お山荒れ――。」
「七年前の七月七日も、恐ろしいお山荒れでござった。」
「せめて合羽《かつぱ》なと――それに、足拵《あしごしら》えもいたしたらどうじゃ。」
「そう遊ばしたら、後生ですから。」
「なに、かえって荷厄介《にやっかい》になります。同じ濡れるなら、このほうが気楽。つづら笠は、お山へかかっての三人の眼じるしにと、これも申し合わせのひとつで、はははははは――少し行ったら、着ものを畳んで、裸体《はだか》で登山《のぼ》ります。鍛練《たんれん》の機会ですから。」
「そうまで言うなら――。」
 と、階段の中途に立ち停まった法外先生、ふと思いついて、
「千浪、彼刀《あれ》を持ってまいれ。兼安《かねやす》を――大次ちょっと待て。」
 千浪は座敷へ引っ返して、床の間の刀架けから、だいぶ佩《は》き古した朱鞘《しゅざや》ごしらえの父の大刀を持って来て、はしご段のなかほどに待っていた法外に渡すと、老人は其刀《それ》を、肩越しに、二、三段下の大次郎へ差し出して、
「さ、守刀だ。これを帯して行け。その、お前の刀は残して、これと脇差と――。」
 ななめに振り返って、受け取った大次郎。
「これは千万! ありがたく拝借いたします。」
 自分の佩刀《はいとう》と差しかえて、残して行く刀は、千浪の手へ。
 千浪はそれを、人形のように両袖に抱き締めて、父娘《おやこ》は土間の上り框《がまち》まで、大次郎を送って出る。
 大次郎の腰には、兼安の朱鞘と、かれの蝋ざやの小刀と、異様な一対をなして。
「くれぐれも言うておくが、大次、けっしてその兼安を抜いてはならぬぞ。抜けば血を見る。や、こりゃ、わしとしたことが、門出に不吉な! 千浪、許せ。ははは、気に留めるな。じゃが、大次郎、刃元に浮かぶ一線の乱れ焼刃、刀面に、女の髪の毛と見えるものが、ハッキリ纏《まつ》わりついておる。人呼んで女髪兼安《にょはつかねやす》、弓削家代々の名刀じゃ。しかし、必ずともに、その女髪を見んとて、鯉口《こいぐち》三寸、押し拡げるでないぞ。抜かぬ剣、斬らぬ腕、そこが法外流の要諦《ようてい》じゃ。女髪を覗いて、伝えらるるがごとく、邪心を発し、渦乱を捲き起してはならぬ、よいか。」
「女髪兼安の由来、かねがね承わって存じております。抜きませぬ。御免!」
「おう、行くか。」
「お気をつけなされて。」
 阿波の住人、右近三郎兼安|鍛《きた》えるところの女髪剣。鮫は朝鮮の一の切れ、目貫は金で断の一字、銘を天福輪《てんぷくりん》と切った稀代《きだい》の剛刀――ぐいと、背後《うしろ》ざまに落とし差した下谷の小鬼、伴大次郎、黒七子の裾を端折ると一拍子、ひょいと切戸を潜って戸外《そと》へ出た。
 まっ黒な夜ぞらの下、銀の矢と降る雨、
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