や、なに、そちの申すとおりではあるが、そこがそれ、下世話にもいう、壁に耳あり障子に眼ありでな――。」
法外先生、急に声をあらためて、
「若いぞ、大次郎!」
「おそれいりました。」
と頭を低《さ》げて、大次郎は今さらのように、隣室のけはい、縁の闇黒《やみ》へ注意を払った。
お山荒れの先触れか、どうっ! と棟を揺すぶって、三国|颪《おろし》が過ぎる。
さっき猿の湯から帰ってきた侍たちが、真下の座敷で、胴間声で唄をうたいだしていた。
出羽守行状
「出羽守が人数を率《ひき》いて狩猟《まきがり》をしたあとは、全村、暴風雨《あらし》の渡ったあとのごとく、青い物ひとつとどめなかった惨状でござりました。」
血のにじむほど口びるを噛み締めながら、大次郎は、しんみりとつづけて、
「これは、千浪様のまえでははばかりますが、すこしでも見目のよい若い女で、出羽守に犯されずにすんだものはありませぬ。したがってその家老めら、取りまき家臣ら、猟り役人、勢子《せこ》の末にいたるまで、役徳顔におんなをあらしまわり、田万里の村じゅう、老婆のほかは、ひとりとして逃れたものはござらぬ。まことに、口にもできぬことでござるが、人の母といわず、妻と言わず――これが年々歳々いつも猟りには付きもののこと! 今から思えば、村びと一同、よくあれまで踏みとどまったもので。」
聴いている千浪の口から、ほっと溜息が洩れる。
この阿弥陀沢は、山ひとつこっちで領主が違う。
それは、田万里だけが受けた災害だった。
狩りに事よせては、人妻、娘を漁りに来る。
さからえば一刀にお手討ち。
さむらいたちは、山家《やまが》に押し入って金目のものを、手あたり次第に略奪する。――これを御奉納と称して。
山肌に拓《ひら》かれたわずかの田畑は、自儘《じまま》に馬蹄《ばてい》に掘りかえされるし、働き手の男は、山人足に狩り出される。その上、何やかやの名目で取り立てられる年貢、高税の数かず――。
土けむりを上げて、風のように馬を飛ばして来ては思う存分荒らし廻って行く出羽守主従だった。
そのあとには、鬼啾《きしゅう》と、憤《いきどお》りのなみだと、黙々たる怨恨《えんこん》が累々《るいるい》と横たわり重なってゆく。
「あまりといえばあまりな、殿のお仕打ちでした――。」
と大次郎は語を切って、灯に顔をそむけながら眼を擦
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