んだか知らないが、さっき「ぼん!」と「のう!」との二つの言葉から、この宿屋の亭主が向うへついたので、そういうおまじないでもあるのかと思った出羽守は、それからは佐吉が「煩!」とやるとすぐ大次郎より先に、大声に「悩!」と答えるので、これでは合言葉が合言葉にならない。
佐吉はますますまごつくばかりだ。
そればかりか出羽守は、今度は自分から、
「ぼん!」
と佐吉へ向ってさかんに呼びかける。
そこで佐吉が、
「悩!」
と答えて、そのもう一人の白頭巾へ斬ってかかると、そっちは大次郎なのだから、
「おい、おい、おれは伴だよ、出羽は向うだ。」
とあわてて呼ばわる。そうすると出羽守が、
「冗談じゃない。大次郎はおれだ。出羽はそっちだ! そっちだ!」
佐吉は、部屋の隅にぺたんと坐って、腕組みをして考えこんでしまった。
なんだか知らないが、馬鹿に利き目のあるおまじないだと、出羽守はさかんに、
「ぼん! ぼん! ぼん!」
と叫びながら、懸命に大次郎へ斬り込んで行く。
もう大次郎も真剣である。
刃と刃が軋《きし》み合い、火を吹くような息が絡んで「梅」の間の乱闘は、しばし続いた。
が!
どういう隙があったのか、この白頭巾の一人が、ひらり縁へ飛び出したかと思うと、
「出羽を押えろ、おれは下の千浪をちょっと見て来る。」
と佐吉へ言い残したと思うと、そのまま廊下を小走りに、階下へ下りて行った。
ぼんやり坐って剣闘を眺めていた佐吉が、はっと我れに返ったように見ると、もう一人の弥四郎頭巾が先に出て行った一人の後を追って、これもいま部屋を飛び出そうとしているから、佐吉は、
「己れっ! 出羽! やるものか。」
とその男の足へしっかり抱きついた。
抱きつかれた白覆面は、大狼狽、
「おい、文珠屋、何をする。おれは大次郎だ、俺だ。出羽は今逃げて行ったじゃないか。」
「何を言やあがる。手前は出羽だ。ややこしくて頭が痛くならあ。」
「何を馬鹿なことを言う。離せ、離してくれ。出羽が逃げてしまうじゃないか。」
「だから、逃げねえように、おれがこうして押さえているのだ。」
「おい、佐吉。感ちがいをしてくれるな。おれだよ。」
と大次郎が、ひょいと頭巾を撥ね上げて顔を見せると、一目見上げた佐吉、なるほど正真正銘の伴大次郎なので、あっと手を離すが早いか、
「さては、今出て行ったのが出羽だった
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