る。
「へい。畏りました。」
 と答えた与助は、前から怪しいと睨んでいた二人連れなので、じっと倒れている千浪へ眼を返し、
「御新造さまは、どうかなさいましたので。」
「うむ、いや、なに、ちょっと眠っておるのだ。遠道をすると足弱はことのほか疲れると見えるのう。」
「いえ、もう、御婦人方はごもっとも、お床をとらせましょうか。」
「いや、それには及ばぬ。ほどなく覚めるであろうから。」
 頭巾のなかからそう言っている出羽守を、敷居際でお辞儀をしながら与助は、素早くじろりと見て、
「それでは、ただ今御酒を――。」
 と障子を閉めて、階下へ下りたのだったが――。

     合言葉

 梯子段を下りた与助は、そこの土間へぶらりとはいって来た主人の文珠屋佐吉を認めて、
「おう、親分。」
 と声をかけたが、その佐吉の背後から、もう一人、あの二階にいる白覆面と同じ弥四郎頭巾、同じ白絹にさいころの紋付、同じような朱鞘を腰に、懐手ではいって来た侍を見ると――狐につままれたような顔の与助は、その侍と、二階のほうを見較べるようにして、
「親分! これはいったいどうしたというんで。」
「何がどうしたというんだ。客人をお連れした。もとおいらがお世話になったお侍様だ。御挨拶をしねえか。」
 与助は眼をまんまるにして、
「冗談じゃありませんぜ、親分。これと同じお侍さんが、女を連れて二階の、『梅』にいらっしゃるんで。」
「げっ! なに? それではあの、もう一人の弥四郎頭巾が!」
 と、佐吉は思わず、背後の大次郎を振り返りながら、与助へ、
「ひょんな侍が女を連れて泊り込んだと、さっきお前が言ったのはその客か?」
 与助はまだ呆気にとられて、大次郎を凝視めて、頷くだけだ。
 佐吉は先に立って上りながら、
「大次さん、来てるらしいぜ。」
「そうらしいな。斬《や》るかな。まず、千浪どのに怪我のないように。」
 この、親友の妻と知りながら、千浪に対する恋心を制し切れない佐吉は、つと、暗い顔になりながらも、
「そうだ。その千浪様とやらに、お怪我があっちゃあならねえ。だが、出羽はこれを幸い、首にしてえものだな。」
「言うまでもない。それは拙者が引き受けるから、お主は千浪を頼む。」
 何の話か解らないので、そばでまごまごしている番頭の与助を、振り返った佐吉、
「すこし二階でどたんばたんするかもしれねえ。お前は誰が下り
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