一時も早く千浪様を探して――。」
と焦立ったが、
「それがどこへ行ったか解らねえのだ。」
と言う文珠屋の言葉。
また二階から聞えて来る恋慕流しの唄に、大次郎は頭巾のなかから、宗七へにっこりして、
「山で、お主のあの唄声を聞いたが七年後の三国ヶ嶽の会合から、こんな騒動になろうとは思わなかった。」
と今さらのように、腰の女髪兼安の柄を叩いて、三人ここで、再び、重なる恨みの煩悩鬼出羽に、堅い復讐を誓ったのだ。
と! 騒ぎにとりまぎれていた宗七、大次郎へ向かって、
「大次さん、驚いちゃいけやせん。姉さんの小信さんを、あっしの家にお世話しているのだが。」
「え、姉上を! それはどういう――。」
「それが、どうしたのか、さっぱり解らねえが――大次さん驚いちゃあいけねえ。小信さんは、少し気が狂っていなさるようだ。」
田万里《たまざと》にいたころから、文珠屋佐吉も、この伴大次郎、姉小信を知っているので。
「あの小信さんが――? すりゃ、出羽の許を逃げ出して。」
出羽守の側女《そばめ》に、押しこめ同様になっているはずの姉の所在が解ったと聞いて、喜んだのも束の間、気が狂っていると知って、大次郎の悲痛と落胆は大きかった。
が、気が狂っている以上、今すぐ訪ねて行ってもしようがあるまいと、小信の身は、宗七夫婦に依頼して一時安心することにした。
そして二、三日うちに、大次郎は必ずやぐら下の宗七夫婦の宅へ小信に会いに行くことにして、とにかくその日は、文珠屋佐吉と連れ立って、その伝馬町の旅館へ帰ることにした。なおも三人、相談と手筈を決めた後。
その、女気抜きの名物旅籠、文珠屋の階上「梅」の座敷では。
良人大次郎とばかり思い込んで、ここまで来たのが、顔を見せられて、あの恐ろしい父の仇敵白覆面と知った千浪は、そのまま哀れに気を失っている。
その、ちょっと覗かせて見せた祖父江出羽守の素顔に、何があるのか。それは本人の出羽守と、一眼見せられた千浪のほか、誰も知らないのだが――。
夕暮れ近い部屋である。
出羽守は、またすっぽりと覆面を下ろして、その、倒れている千浪の姿をまじまじと凝視めて、頭巾の中で隠れ笑いをしている様子だったが、やがて手を鳴らして、障子際に手を突いた番頭の与助へ、
「酒が所望じゃ。」
と命じた。
この、気絶している千浪を眺めながら、それを肴に一杯やる気と見え
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